2018年12月7日金曜日

正倉院文書

 最新の情報は国会図書館リサーチ・ナビです。
 この中の研究入門書の紹介に
正倉院文書の世界 : よみがえる天平の時代、丸山裕美子 著、中央公論新社,があり、
この本の終章に資料について詳しく書いてあります。以下は自分のメモで確認の資料です。
①「大日本古文書」編年文書
  この本は図書館によっては所蔵しているところあり、借りることもできます。編年文書とあるものが正倉院文書です。ほかのものと間違わないようにしないといけません。私は近くの図書館にあることを確認しました。
②正倉院文書目録
  東京大学史料編纂所は、1960年から毎年秋の正倉院の開封のさいに、原本調査を行っており、それに基づく文書の接続・復元の成果を『正倉院文書目録』に編纂している。これによって、私たちは現段階における原型復元の最新成果をしることができる。とのことですが、こちらは簡単には見れないようです。正倉院文書のデータがあり、裏面のデータとかわかるそうです。今までの間違いとかが訂正されているそうですが、よくわかってはいません。
③宮内庁正倉院事務所 編『正倉院古文書影印集成』
 影印というのは、写真撮影のことのようですが、モノクロコピーのようなものです。後ろの方には活字で説明があります。近くにおいてあるところがあれば役立つとは思われます。古文書を読むことができるレベルの人には有用だと思います。私も何とかレベルアップしたいものです。
東京大学史料編纂所データベース外部サイトへのリンク(東京大学史料編纂所)
 「奈良時代古文書フルテキストデータベース」を選択します。 「項目検索」を選択すると、本文中の語句や和暦年月日から検索できます。と国会図書館リサーチ・ナビにあります。手軽に見ることができます。①の文書をパソコンの画面に出し、しかも印刷できます。借りた本では気をつかいますが、こちらはメモとか自由です。しかし検索がありますが、何もわからない状態ではどのようにしてよいかわからず、先にすすめません。①の文書を見ながらであれば何とかなりそうです。
 とにかく、ありがたい時代になりました。正倉院展とか、知らずに展示を見て驚いているだけでしたが、来年は予習ができ、もう少しポイントを絞って見られそうです。この宝の山を活用できれば良いのですが。

2018年12月4日火曜日

カタカナの「ン」

以前に漢字からカタカナ、梵字からひらがなと言ってましたが、間違いのように思われてきました。
梵字の「ア」が次のものです。
漢字の「阿」に見えなくもないですが、それはおいといて、
梵字の「アン」が次のものです。梵字の「ア」の上に装飾された図形があり、「アン」となります。

上の装飾された形の部分が、カタカナの「ン」に似ています。カタカナの「ン」はこの梵字の修飾するところから出てきたように思われます。この字では梵字からカタカナが生まれていて、前に言っていた「梵字→ひらがな」はおかしいことになります。再検討しないといけないとは思います。

ついでで思いついたことですが、仮名で長音化するときに棒線を使いますが、梵字の「イー」などは縦の曲線で、梵字を理解してる人にとっては、音を伸ばすのに棒線を使うのは抵抗ないように思います。梵字からの可能性はあります。

あと、「か」に点をつけて「が」にするとか、「は」に○をつけて「ぱ」に変化させるものなど、梵字の修飾の知識があって可能になったような気がします。先ほどの「アン」の梵字であれば順番では「ンア」となります。日経新聞を見ていて「嵜」という文字がでてきました。「崎」という字と同じ扱いと思います。「枩」というのも「松」を示しているのを思い出しました。昔の人は位置にこだわらわず、パーツの組み合わせで理解していて、細かいことは気にしていないような気もしました。日本語の文字は、縦書き・横書き、右からでも左からでも自在で、すごいことかもしれません。
「は」ですが、昔は「pa」と発音したそうです。従って、「ぱ」の文字が現れるのは後の時代ということです。濁音や半濁音の表示は、カタカナやひらがなができてから共通して考えられたもののようです。

2018年12月3日月曜日

神祇官と太政官

 律令制ではともに「官」で「省」より上位に位置づけられているのだけれど、神祇官移という書類が宮内省あてに出されていて、「移」は上下関係にない役所間で使用され、実質的には「省」と同列であることがわかる。実際、神祇官の長官である神祇伯の相当官位は従四位下で、八省の長官の正四位上・下より下にランクされている。
と書いてあります。(正倉院文書の世界、丸山裕美子著、中央公論社発行、108頁)
 最初は、対等であったのが、鎮護国家ということで仏教が取り入れられ、神祇官の地位が太政官に較べて低下していることを示しているのだと思います。

2018年11月27日火曜日

長岳寺五智堂

 説明版によれば、長岳寺の飛地境内に立つ、方一間の小さい建物で、中央には太い欅の丸柱があり、四方に梵字の額を掲げている。中央の心柱は大日如来を示し、額を含めて五仏を現している。南に宝生如来(タラーク)、北に不空成就如来(アク)、東に阿閦《アシュク》如来(ウーン)、西に無量寿如来?を表している。とあります。金剛五仏であれば、西は阿弥陀如来(キリーク)になります。無量寿如来は(アン)?

アクは「ア」+「点々のク」ですぐわかります。

タラークは「タ」+「ラ」+「-(伸ばす)」+「ク」です。

キリークは「カ(実際はK)」+「ラ(Rの発音)」+「イー」+「ク」でしょう。

ウーンは、「カ」と「ウ」で「ク」となり、「クーン」で「K」の音がとれて「ウーン」となったのかと思います。ドイツ語で本のブックがブッフのようになってるのと同じかなと想像します。

自己流なので、どこまであってるのかは不明です。

追記:H30.12.05
 梵字独習書改訂版、大辻徳成著、鴻盟社発行の16ページに
五佛・五如来・五菩薩・五智・五大尊のところ、西方の「キリク」の佛尊で
無量寿如来、弥陀如来、観音菩薩、妙観察智、大威徳明王とありました。したがって無量寿如来もおかしくはないのかもしれません。
ついでにメモっておきますが、
北方の「アク」は、大通智性佛、釈迦如来、雲雷菩薩、成所作智、金剛夜叉明王。
東方の「ウン」は、阿閦佛、薬師如来、普賢菩薩、大円鏡智、隆三世明王。
南方の「タラク」は、宝幢佛、宝生如来、虚空蔵菩薩、平等性智、軍荼利夜叉明王。
中央は「バン」で、毘盧遮那佛、大日如来、金剛菩薩、法界躰性智、不動明王。
このようにあります。打ち間違いがあるかもしれません。
五智といっても単純ではないのだと思いました。

追記:H31.0.03
初詣に出かけたときに、阿弥陀堂の説明版がありました。
本尊の阿弥陀《あみだ》如来は、その寿命が無限であることから無量寿《むりょうじゅ》如来ともいい、またその光明が無限に十方世界を照らすことから無量光《むりょうこう》如来とも称され、西方極楽浄土の教主とされます。・・・と書いてありました。

2018年11月19日月曜日

正倉院古文書、戸籍

 今年は、正倉院展で豊前国の戸籍が出展されていましたが、詳しくは見れてませんでした。古文書を見るときの基礎知識がないので仕方の無いところがあると思っていました。たまたまですが、「正倉院文書の世界、丸山裕美子著、中公新書」を見つけました。この本では、カラーの口絵に大宝2年の筑前国の戸籍が採りあげられています。この時代の戸籍としては美濃国以外に西海道諸国のものがまとまって残っているそうです。西海道は九州地方のことで、筑前・豊前・豊後国のものが残っていて、同じ書式で、大きな国の朱印が整然と押されていて、太宰府の指示により統一した書式で清書されたのだと考えられている。とのことです。
下記リンクの図は、文化遺産オンラインより
筑前国
豊前国
拡大してみれば、国印は豊前とか筑前とか違いますが似ています。
 この本では、戸籍の名前・年齢などが書き出されていて(活字で)、ふりがなもあり、わかりやすく見ることができます。来年は正倉院展に出かける前に、この本を見ておくと文書類の展示も理解できると思いました。
 筑前・筑後とかの前後のつく国名ですが、この名前になるためには、前もって統一された戸籍がすでにあり、それを元に分割したということなので、大宝律令以前の戸籍があったと思われます。備前・備中・備後や越前・越中・越後など、さらに前中後がつく国もありますが、古い時代から戸籍があったと思われるので、この地域が安田仮説の名字の関連する地域と重なってくるので無関係とはならないと思います。国名が前後だけでなく上下のつくところもあります。前後では都に近い方が前で、遠い方が後ということで、この本では下総・上総も昔は海路なので南が都に近く上となったとあります。そういうことのようですが、総前・総後になっても良さそうなので、何か条件が違うとは思いますがわかりません。
 全体として戸籍が地域により違っているようなので、完全に中央集権国家ではなく、連合的な国であったようには感じます。道鏡の宇佐八幡宮事件も理解しにくいですが、地域の力が強かったのかもしれません。藤原純友の乱や平将門の乱など、中央からの視点では反乱ですが、締付けがきびしければ、そういうことが起こる状態だったかもしれません。鎌倉幕府も中央に対する反乱のようなところがあるので、奈良時代も確固としたものではなかった感じがします。図書館の返却期限があるので、この本をもう少し読みたいと思っています。

2018年11月16日金曜日

アジアの調理器具

 NHKの趣味どき アジアごはん の番組を見ていたとき、
調味料を作るのに押しつぶすして混ぜ合わすような道具が出ていました。
第1回韓国、第2回インドネシア、第3回ベトナム、第4回トルコ、第5回タイ、第6回台湾、第7回イラン、第8回インドの放送でしたが、どの国か記憶が定かではありません。この道具が良く出てきました。インドは確実です。
 ネットで見れば、タイ料理では クロックストーンミルセットのようなものです。


 この中でのいくつかの国では、このような器具を使っていました。共通の食文化があったという気がしました。おそらく仏教などを通じて共通の食習慣になったのだと思われます。放送では南インドの料理でした。北インドの方はイランやアフガニスタンなどの中東の影響を受けて少し違うんだと思います。南インドは東南アジアの国と近く、文化圏が同じかもしれないと思いました。餅つきも臼を使いますが、何か関係あるかもしれません。上記の番組の本がありましたが、調理器具についてはタイのクロックが紹介されているだけで、調理のレシピとかが中心で、調理器具については詳しくは無かったです。世界中どこでもあるのかもしれませんが、この地域に限定されるものかもしれません。

追記:
[絵引]民具の事典【普及版】、発行:河出書房
この本で、日本での似たようなものを探すと、
  • うす・・・・餅つき、穀物の脱穀・精白・製粉
  • こね鉢・・・そば・うどん・団子・饅頭などを作る。
  • すりばち・・ごま・大豆・味噌などを擂ったり、とろろ汁や豆汁、魚のすり身など
  • 乳鉢・・・・薬の原料や顔料を擂って細かな粒子にする小鉢状の器
などです。
日本では、このような調理器具は無いと思っていましたが、そうでは無いようです。すり鉢などは似ています。すじの有無の違いがあり、乳鉢が機能的には似ていますが小さい感じです。微妙な感じですが、どこにでもありそうな気はしないでもありません。まあ、思い込みかもしれませんが、直感的には、南インドと東南アジアとのつながりを感じました。


2018年11月14日水曜日

正倉院文書を調べる

 正倉院展で、豊前国仲津郡丁里(よぼろり)戸籍が展示されていたのですが、よく見ておらず、メモってなかったので思い出せません。しかし、今回の戸籍を見ていて、多分、現在の名字につながるものは出てこないような気がしました。戸籍のイメージが違うようで、豊前国戸籍などが、庚午年籍 庚寅年籍を引き継いでいるとすれば、安田仮説は店じまいしないといけないように思います。しかし、今ある名字は奈良時代・平安時代の影響を受けているはずで、そのメカニズムも不明です。もう少し考えてみたいとは思います。
 今回、宮内庁の正倉院宝物紹介の中に、戸籍がありましたが、混雑の中で初見で理解することは、残念ながらできそうにはありません。図録なども文字がはっきり見えません。いろいろネットを探すと
独立行政法人国立文化財機構文化財活用センターで、正倉院のものではなさそうですが、豊前国仲津郡丁里大宝二年戸籍断簡がありました。
コピーなどは禁止とのことで、urlメモです。
かなり拡大できて文字も見ることができます(読むレベルにないのがかなしい)。
今まで知りませんでしたが、探してみるとデーターベースがいろいろあるようです。
正倉院文書を調べる
とかうまく活用できればということになります。

・正倉院展に出展される戸籍類の文書について
これらの多くが、正倉院文書の「正集(せいしゅう)」四十五巻のグループに属している。これは、江戸末期の天保年間に穂井田忠友(ほいたただとも)という国学者が、主に「写経所文書」を対象にして「整理」したものだ。・・・ということです。正倉院文書入門、栄原永遠男著に書いてあります。

 写経所の文書とは、元々あった戸籍とかの文書の裏が白紙でその部分を再利用して写経書の文書ができているのを、切り貼りして戸籍などを巻物のように復原したものを「整理」というようです。従って戸籍は完全なものではありません。写経所で書かれた状態に戻すのと、その元に戻すのと二重の復原があるそうです。