正倉院展で、豊前国仲津郡丁里(よぼろり)戸籍が展示されていたのですが、よく見ておらず、メモってなかったので思い出せません。しかし、今回の戸籍を見ていて、多分、現在の名字につながるものは出てこないような気がしました。戸籍のイメージが違うようで、豊前国戸籍などが、庚午年籍 庚寅年籍を引き継いでいるとすれば、安田仮説は店じまいしないといけないように思います。しかし、今ある名字は奈良時代・平安時代の影響を受けているはずで、そのメカニズムも不明です。もう少し考えてみたいとは思います。
今回、宮内庁の正倉院宝物紹介の中に、戸籍がありましたが、混雑の中で初見で理解することは、残念ながらできそうにはありません。図録なども文字がはっきり見えません。いろいろネットを探すと
独立行政法人国立文化財機構文化財活用センターで、正倉院のものではなさそうですが、豊前国仲津郡丁里大宝二年戸籍断簡がありました。
コピーなどは禁止とのことで、urlメモです。
かなり拡大できて文字も見ることができます(読むレベルにないのがかなしい)。
今まで知りませんでしたが、探してみるとデーターベースがいろいろあるようです。
正倉院文書を調べる
とかうまく活用できればということになります。
・正倉院展に出展される戸籍類の文書について
これらの多くが、正倉院文書の「正集(せいしゅう)」四十五巻のグループに属している。これは、江戸末期の天保年間に穂井田忠友(ほいたただとも)という国学者が、主に「写経所文書」を対象にして「整理」したものだ。・・・ということです。正倉院文書入門、栄原永遠男著に書いてあります。
写経所の文書とは、元々あった戸籍とかの文書の裏が白紙でその部分を再利用して写経書の文書ができているのを、切り貼りして戸籍などを巻物のように復原したものを「整理」というようです。従って戸籍は完全なものではありません。写経所で書かれた状態に戻すのと、その元に戻すのと二重の復原があるそうです。
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