2018年11月19日月曜日

正倉院古文書、戸籍

 今年は、正倉院展で豊前国の戸籍が出展されていましたが、詳しくは見れてませんでした。古文書を見るときの基礎知識がないので仕方の無いところがあると思っていました。たまたまですが、「正倉院文書の世界、丸山裕美子著、中公新書」を見つけました。この本では、カラーの口絵に大宝2年の筑前国の戸籍が採りあげられています。この時代の戸籍としては美濃国以外に西海道諸国のものがまとまって残っているそうです。西海道は九州地方のことで、筑前・豊前・豊後国のものが残っていて、同じ書式で、大きな国の朱印が整然と押されていて、太宰府の指示により統一した書式で清書されたのだと考えられている。とのことです。
下記リンクの図は、文化遺産オンラインより
筑前国
豊前国
拡大してみれば、国印は豊前とか筑前とか違いますが似ています。
 この本では、戸籍の名前・年齢などが書き出されていて(活字で)、ふりがなもあり、わかりやすく見ることができます。来年は正倉院展に出かける前に、この本を見ておくと文書類の展示も理解できると思いました。
 筑前・筑後とかの前後のつく国名ですが、この名前になるためには、前もって統一された戸籍がすでにあり、それを元に分割したということなので、大宝律令以前の戸籍があったと思われます。備前・備中・備後や越前・越中・越後など、さらに前中後がつく国もありますが、古い時代から戸籍があったと思われるので、この地域が安田仮説の名字の関連する地域と重なってくるので無関係とはならないと思います。国名が前後だけでなく上下のつくところもあります。前後では都に近い方が前で、遠い方が後ということで、この本では下総・上総も昔は海路なので南が都に近く上となったとあります。そういうことのようですが、総前・総後になっても良さそうなので、何か条件が違うとは思いますがわかりません。
 全体として戸籍が地域により違っているようなので、完全に中央集権国家ではなく、連合的な国であったようには感じます。道鏡の宇佐八幡宮事件も理解しにくいですが、地域の力が強かったのかもしれません。藤原純友の乱や平将門の乱など、中央からの視点では反乱ですが、締付けがきびしければ、そういうことが起こる状態だったかもしれません。鎌倉幕府も中央に対する反乱のようなところがあるので、奈良時代も確固としたものではなかった感じがします。図書館の返却期限があるので、この本をもう少し読みたいと思っています。

1 件のコメント:

  1. 歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

    読み通すには一頑張りが必要かも。
    読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
    ネット小説も面白いです。

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