2023年3月13日月曜日

うるち米の語源

 サンスクリット語をちょっと知りたいなと思い、借りてきました。 『サンスクリット語・その形と心』、上村勝彦、風間喜代三、三省堂 (2010/2/10)
勉強するのは大変そうですが、「雑学のよろこび」というコラムがおもしろいです。そこしか読んでないです。

57頁からの、「2.米の話」です。

米は日本人の主食だが、インドの人たちもヴェーダの昔から米を知っている。その大切さを示唆するものとして、まず「米、稲」をあらわす語をみてみよう。

われわれは、餅に対する米をあらわすのに「うるしね」(粳稲、シネはイネの古形)、あるいは「うるち」(粳)という言葉をもっている。この「うる」には、「うるおう」とか「うるわしい」などとの関連が予想されるけれども、それは推定の域をでない。

米はうるち米ともち米に分かれるようです。

それよりもおもしろいのは、サンスクリットのvrīhi-「米」からの借用説である。もちろんその借用の経緯はわからないが、東南アジアや台湾の土着の言語にも明らかに同じ借用を思わせる形が指摘されているから、それらの1つが米の文化とともに日本列島にもたらされたと考えることができよう。

文中の「vrīhi-」は「ブリーヒ」で、スペルとか自信ないです。vrīhi-「米」からの借用説は、本当かと思われる人もいるでしょう。さらに続きます。

このサンスクリットの語形は、インドの東ばかりか西の方にも広がっている。というのは、われわれになじみ深い多くのヨーロッパの「米、稲」をあらわす語、たとえば英語rice、ドイツ語Reis、フランス語riz、イタリア語riso、ロシア語risなどの源をたずねていくと、どれもがこのvrīhi-にゆきつく可能性があるからである。これらの近代の諸言語は、いずれもまずラテン語のoryza、さらにはその源となった古典ギリシャ語の同じ形にさかのぼるが、この2つの古典語そのものが、じつはインドからか、あるいは直接でないとすれば、早くから古典世界と接触のあった イラン系の言語の話し手を介して借用されたものにちがいない。

このインドとイランの両語派の人々は先史時代に非常に親密な関係にあり、1つの集団をなしていたことは確かだが、それでもこの「米、稲」の語形に関するかぎり、イラン系の言語の形には、中期ペルシア語のbrinj、近代ペルシア語のbirinjにみられるように、-n-が入ってきている点でvrīhi-とは微妙なちがいを示している。ということは、この2つの語派の人たちは、第三者から別々に「米」をその文化とともに借用したのだろう。その意味では、この語彙はいわゆる「文化語」の類で、それまでインド・ヨーロッパ語族としては未知だった食べ物をこの両派の話し手がはじめてこの語彙とともに受け入れ、歴史時代になってそれを西欧世界に教え広めたわけだが、同時にわれわれ日本人も、インドにつながるこの「米」の文化を名実ともに担っているということができる。

「うるおう」とか「うるわしい」とか説得力が全然ないなと思えます。日本の稲作伝来も、現物の米と言葉が同時に伝達されたと考えるべきかもしれません。

また、ご飯のことを「しゃり」といいます。これはśali-という語形があり、通説では「(仏)舎利」(サンスクリットśarīra-「身体」、ふつうは複数形を使用する)の転用とのことのようで、このコラムは続きますが、省略しました。

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