2020年11月22日日曜日

辛國《カラクニノ》神社

御野国味蜂間郡春部里戸籍の続きの話です。

 人名の辛国ですが(辛國だったかもしれない)、神社に辛國神社というのがあるのを見つけました。藤井寺市藤井寺一丁目一九ー一四にあり、旧表示は堺県河内国丹南郡岡村春日山となっています。この話は『式内社調査報告第四巻 京・畿内4』を見てのもので、出来るだけ旧漢字にあわすつもりですが、読みの間違いの可能性もあります。春日山は、古市郡の高屋城主畠山氏が大和の春日明神を勧請してからと伝えられているそうです。さて辛国の由来ですが、この本では

 この辛國とは、四世紀ごろの大和朝廷の初め、朝鮮半島南部にあった加羅(加耶・加那とも書く)と國交があり、一般的に外國を「韓國《カラクニ》」と呼んだ。「辛國」とは呼び名の当て字であり、主に朝鮮半島の国をこのやうに表示した。その後の飛鳥時代には、中国の隋や唐を「唐國《カラクニ》」と書いて同音であっても、表示では一応の区別をしてゐたやうである。
 従ってこの「辛國」の表示は韓神の祭祀された社であると思はれるが、諸書の祭祀する神は、所論が混乱してゐる。所在する場所が村の南の春日山にあったため、「春日さん」とも呼ばれてゐる。とあります。
 戸籍に出てきた名前も、唐ではなく、朝鮮に関係する人物の名前として良さそうです。

 この本での祭神については『大阪府神社名鑑』(昭和四十六年刊)では、「饒速日命・天児屋根命、素戔嗚尊」となっている。とあります。読みは「にぎはやひのみこと、あめのこやねのみこと」のようです。いろいろと書いてあり、理解できるレベルではないですが、韓國の祖神を祀るのだろうということのようです。この神社の過去については良くわかりませんが、私は「素戔嗚尊」を天武天皇と考えているので、祭神は天武以降に整えられ、「素戔嗚尊」が加わったように思えます。
 この本には、新羅國神の言葉も見えます。天武天皇は百済の人と思ってましたが、新羅系の人であったかもしれません。また近くに野中寺があり、百済系渡来氏族の船史《フナノフヒト》の氏寺であったと書いてあります。新羅・百済が入り乱れていて、今のところは天武天皇は渡来人?ということにします。

追記:H201126

祭神ですが、辛國神社のHPに
ご祭神は主殿
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
素盞鳴命(スサノオノミコト)

室町時代に河内守護職の畠山基国が現在地に神社を造営し、して春日大社から春日神、天児屋根命を勧請し、合祀したとのこと。以後春日社と呼ばれるようになったようです。明治四十一年に式内社「長野神社」を合祀しています。長野神社は葛井寺の境内の南西に鎮座していました。辛国神社の祭神の内、素盞鳴命は長野神社の祭神です。

天武天皇の時代といえるのかということです。しかし、雄略天皇の御代に開かれたとのことです。





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