能に「翁」という演目があります。『能を読む①』(a)によれば、天下太平の祈念、年頭の法会を源流とする、厳粛な祝禱の芸能とあります。古来、能役者によって演じられてきたが、能とはまったく形態を異にする特殊な演目。成立は遅くとも鎌倉初期頃と考えられ、能が生まれる以前から能役者の前身である猿楽によって演じられていた芸能である。・・・また「翁」がどのようにして生まれたか、翁とはそもそも何者か、といった基本的なことはほとんど明かにされていないが「翁」を生んだ場としては、平安時代以降、天台寺院や法相寺院で営まれていた、年頭の天下太平祈念の法会である修正会、修二会であることが確実である。とあります。しかしながら本当でしょうかということです。
そもそも能とは何かということですが、猿楽のことで、『能 650年続いた仕掛けとは』(b)では、世阿弥は『風姿花伝』で「猿楽はもとは神楽なのだが、末代のもろもろの人々のために、神の示偏を除いて申楽《さるがく》にした」と書いていますとのことです。この説の当否はともかくとのことですが、私は確度の高い話と思います。感覚的にはゴスペルシンガーのマヘリアジャクソンが歌うことに対して教会から避難を受けたということがあったとの記憶があります。元々ゴスペルは宗教音楽であって教会の中での宗教儀式としてあったのが、教会から離れたところで歌うことは許さないとした人たちがいたということです。おそらく「翁」の演目も神事として行なわれていて、芸能的な扱いを許されなかったと考えられます。これは神事ではないということのため、「示」がとられて申となったとして私は納得しています。この「申」を「さる」と読みます。
「翁」は国の太平を願うものですが、誰が国の繁栄を願っているのかということが問題です。(b)では、芸能の起源は『古事記』の、天岩戸と海幸彦の二つにあるとしていて、私は後者の話に注目します。以下は32頁、
漁と猟の道具を交換した海幸彦と山幸彦の兄弟、弟の山幸彦は兄に借りた釣り針をなくし、兄がそれを許さず、弟が釣り針を探しに海中へ行き、そこで出会った豊玉姫の海神一族を味方につけた山幸彦が海幸彦に勝利します。その戦いの最後に「自分が負けたさまを永遠にあなたの前で演じましょう」と海幸彦が山幸彦(神武天皇の祖父とされます)に約束する文章が『日本書紀』にあります。とのこと。
「わざおざ=俳優」の起源と書いています。恭順を示す行為としての芸能とのことです。この説話からの妄想ですが、敗者が勝者に臣従を誓う儀式が神楽ではないかという気がします。ヤマトの勢力に敗れた勢力が儀式として国の繁栄(つまりヤマトの勢力の繁栄)を願うということで、神事として固定化されたということです。これは一つの地域だけでなく多くの地域に対しても行なわれていて、ヤマトの支配下に入った地域の首長達をヤマトに住まわせ(江戸時代の参勤交代ではなく永住させ)、神楽を行なわせたと考えれば、大和国に能の流派が多く残っていたのもこの歴史を引きずっているためと考えられます。時代を考えると、神楽の起源は、神道の格式化をはかった天武天皇の時代のような気がします。(a)で梅原猛氏が奈良阪の奈良豆比古《ならつひこ》神社で、天智系の光仁天皇即位するときに、后の天武天皇系の井上内親王が皇太子他戸親王とともに幽閉され死んだ。その恨みで光仁天皇の弟の春日王が白癩《びゃくらい》になった。奈良阪の産土神に「翁」を奉納したところ治ったとの伝承があると述べています。私の理解の仕方が違うかもしれないが、支配・被支配の関係があるように思われます。
a)能を読む①翁と観阿弥、能の誕生、角川学芸出版、平成25年1月25日発行
b)能 650年続いた仕掛けとは、安田登著、新潮新書732,2017年9月20日発行