正倉院文書、石山紙背文書にあり、以下は
『古代史料を読む 上 律令国家編』、佐藤信・小口雅史編、同成社、2018年を見ています。
この文書は、平城京左京七条の住人である下級官人が、任官のために用意した自薦書で、内容はこの本では、原文のコピーと読み下し文があります。
抜書きすると
上総国海上郡(現在の千葉県香取郡付近)の大領(郡司の長官)の職に就くことを願い出るもので、父祖の履歴を書き連ねている。難波の朝廷(孝徳朝)の祖父、飛鳥の朝廷から藤原朝廷(天武・持統朝)に仕えた父、奈良の朝廷(元明・元正・聖武朝)の兄のことを述べています。
この文書からの理解では、律令制が整備されるのと官僚制度が確立するのとは対応していると考えられ、大領が継続的に引き継がれていることは、大まかな政治体制(孝徳から聖武まで)は変化していないことになります。しかし遷都と代替わりが合っていること、天智朝の時代が抜けていること、上総国が都から離れているので、中央のトップが変わっても地方は影響を受けにくかったかもしれないので、官僚組織は政治勢力が変わっても維持されたと考えます。
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