2020年5月27日水曜日

戸籍の歴史と政権

 安土桃山時代の太閤検地という年貢を取り立てるための制度があります。戸籍に相当するものになります。その前の戦国時代とかでも統一されてはなかったと思われますが、あったはずです。次の江戸時代には太閤検地は引き継がれず、宗門人別帳とかになりました。戸籍制度は政治体制が変わることで引き継がれないことが考えられます。逆に言えば、戸籍制度が新しくなれば政治体制が変化したことになると想像できます。孝徳朝の時の大化の改新の詔で、「戸籍・計帳」の作成が命じられたということから、何らかのものがあり、天智朝の時代に庚午年籍、持統朝では庚寅年籍となります。政治体制の刷新とともに新しく戸籍が作られるように思えます。つまり、孝徳朝・天智朝・持統朝は別物と考えるべきであろうということになります。

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