今まで、頭の中では、狛犬と神社が結びついており、寺と狛犬が関係のないものだという認識でした。寺に狛犬があってもそれは神仏習合の名残だと考えていました。
しかし、法隆寺金堂の壁画を見ると、その中の第10号壁薬師浄土図などでは下方に左右一対の獅子が描かれています。おそらく狛犬の原点のように思われます。7世紀後半の神道は仏教の影響を受けて、生まれたという気がしてきました。もともと日本には、古墳宗教的なものがあり、その後、仏教が導入され、律令制の整備とともに仏教を取り込んだ神道がうまれたもののうまくいかず、再度、遣唐使などで仏教が取り入れられ、国家仏教となり、その後は神仏習合の体制になったのではとの流れです。前方後円墳の終息時期が各地で異なるのも、古墳は埋葬儀礼であって一つの文化であり、政治体制は急激に変わっても、各地域の文化的な意識は変わらず、旧世代が残った地域では、世代の交代が進むまでは埋葬儀礼の変化などが緩やかであったと考えられます。思い付きですが、神社もそれほど古くないかもしれません。
図は金堂壁画を線画にしたもの、切り取ったものです。元図は、樋口富麻呂氏描き起こし図(春山武松 『法隆寺壁画』 朝日新聞社 昭和22年刊) に田口 榮一氏が加筆したもの
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