2020年6月5日金曜日

マヤ遺跡のニュース

日経新聞令和2年6月4日朝刊の記事、最大・最古のマヤ遺跡か
が掲載されていました。樹木に覆われた遺跡を上空からレーザーを照射して測量したといいます。
日経の図のコピーを示します。図では右下が北の方角です。太陽は左から右に移動します。

今回の発見された大基壇は祭事に利用とされていますが記事ではよくわかりません。
英科学誌ネイチャーに発表されたということで、見てみると何となくわかってきました。
中央の細い筋が見えますが、これがプラットホームで、南北方向に位置しています。その右手、西側に四角推のようなものがあり、ここがビューポイントとなり、日の出がプラットホームの端に来た時に冬至や夏至がわかります。古代の人にとっても1年の移り変わりを正確に知ることは重要なことであったと思います。そのために大掛かりな遺跡が生まれたのだと思いました。
下の図はネイチャーより

ネイチャー

マヤ文明は、一つの帝国でなく、都市を拠点に多くの王朝が共存していたと記事の解説にあり、一つの都市国家では、このような施設がむつかしく、連合の象徴的なものとして建設され、決定されたカレンダーのようなものが、それぞれの都市国家に伝達されたと想像されます。
古代ギリシャも都市国家の集まりであったので、初期の国家は、どこでも都市国家の集まりであったということで、日本も7世紀でも都市国家の集まりだったと考えられなくもないので、参考になります。

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