2018年12月24日月曜日

古事記の稗田阿礼はインド人か?

 最近、年賀はがきの季節で、年賀状を準備している人も多いと思います。はがきですが、漢字では葉書で、もともとは文字を葉っぱに書いたことから起こったといわれます。昔にインドでは葉に文字を記し、中国では紙に書いたので、中国を介して葉書が日本に伝わったように考えられているようです。言葉というのも、言語と葉っぱの密接な関係を示しているようです。私は直接にインドから日本に伝わってきた可能性があると思っています。
 梵字に関心を持っていて、ひょんな事から、「古事記の真実、神代編の梵語解、二宮陸雄著、愛育社発行」の本を借りてきて読み始めました。サンスクリットで古事記は理解できるとのことで話は進みますが、流して読んでます。太安万侶は実在の人物で、墓誌が見つかっています。発見された場所がトンボ山ということで、このトンボはサンスクリットでは「悲嘆の地」で、英語の墓(tomb)やラテン語の墓(tumba)と同語源であろう。とのことです。お墓の山ということで整合性があります。
 四三頁になり、引用しますが、
『私の考えでは、結論から言えば、この古事記の「神代編」を口述した稗田阿禮は恐らくは朝廷に使えたインド人であって、サンスクリット語で暗唱し、口承したと思われる。神代編はサンスクリット語で口伝されていたのだろう。そして太安萬侶はこれを漢文で記し、その際、意味の確かと思われた語は彼の判断でその意味の漢字を使って表記し、意味の不明な者は漢字の音を並べて表記したのであろう。すでに一部は引用したが、そのことを太安萬侶はくどいほど言い訳して、次のように書いている。
「上古の時、言葉《ことば》意《こころ》並びに朴《すなほ》にして、文を敷き句を構ふること、字におきてはすなはち難し。已に訓によりて述べたるは、詞《ことば》心に逮《およ》ばず、全く音をもちて連ねたるは、事の趣更に長し。ここをもちて今、或は一句の中に、音訓を交へ用ゐ、或は一事の内に、全く訓をもちて録《しる》しぬ。すなはち、辭理の見え叵《がた》きは、注をもちて明らかにし、意況の解《さと》り易きは、更に注せず。また姓《うぢ》におきて日下《にちげ》を玖沙訶《くさか》と謂ひ、名におきて帯《たい》の字を多羅斯《たらし》と謂ふ、かくの如き類《たぐひ》は、本《もと》の随《まにま》に改めず』
と書いてあります。
 そのあとに、稗田阿礼の名前をサンスクリットで解釈していますが、「ぴえだ」と読めば違ってくると思われるので以下省略します。
 とにかく、稗田阿礼は、当時の人間録音機みたいな人であったということです。私自身はとてもこのような異常な記憶力を持つ人がいたとは思えなくて、太安万侶の自作ではないかといままで考えていました。しかしながら彼がインド人であったとすれば辻褄が合ってきます。インド人であれば、サンスクリット語を読み書きできます。しかもこれは表音文字です。つまり聞いたことをサンスクリットであらわせば、言った内容がわからなくても再現できます。その上、サンスクリット語は日本語の母音が5個(現在)ですが、もっと多くあります。古代の日本語で母音の数が多かったというのに対応しています。さらに言えば、サンスクリットは文字がパーツの組み合わせです。うまく使えば、速記できるのではと思われます。私も昔、速記が出来れば良いなと思って時がありました。昭和の時代にあっても使われていました。参議院式とか衆議院式とか使われていたようです。現代の速記に使われる文字がサンスクリットのように見えてきます。
 稗田阿礼について、この本からまた引用しますが(面倒なのでふりがな略あり)、
『時に、舎人ありき。姓は稗田、名は阿禮、年は是二八、人と為り聡明にして、目に渡れば口に読み、耳に拂《ふ》るれば心に勒《しる》しき。即ち阿禮に勅語して帝皇《すめらみこと》の日継《ひつぎ》及び先代《さきつよ》の舊辭《ふること》を誦み習はしめたまひき。然れども運《とき》移り世異《かは》りて、未だその事を行ひたまはざりき」・・』
と書いてあります。「心にしるしき」の部分がどうも稗田阿礼の記憶力抜群の解釈になっているようです。私にはここは単にレトリック的なもので、稗田阿礼が速記の名人であったことを言っているように思われます。稗田阿礼が自分で漢字を用いて書けば、太安万侶は不要です。漢字は速記には不向きで、サンスクリットが速記に優位であったため、稗田阿礼の存在意義があったということです。古事記が稗田阿礼と太安万侶の両者によって完成されたのも、稗田阿礼がサンスクリット的な他の人には読みにくい速記文字を口述し、太安万侶がそれを聞き取り、漢字を用いて表記し、一般化したものだという気がしてきました。おそらく稗田阿礼が死んでしまっては他の人が読むことができない状態を何とかしなくてはとして古事記が作られ、これをもとに日本書紀が作られたといういことになると思います。稗田阿礼はインド人と考えることにより、すっきりと説明することができます。古事記とインド神話の関連性も整合性あるものとして考えに入ります。
 この「古事記の真実」によれば、古事記の表記で「小字」という漢字文に添えられた「上」や「去」があり、いろいろな説があるが、サンスクリット語の独特の母音を表していて、このサンスクリット語の母音を表す文字が行草体の「上」や「去」に酷似しているということです。日本語にない母音を表すための表音記号と考えているという説も否定はできないです。まだ最初の方を読んている段階で、最後まで読めるかわかりませんが、稗田阿礼のインド人説は有力だと思いました。

追記:H30.12.28
「古事記の真実」という本を読み始めましたが、古事記をすべてサンスクリットで解釈するのは問題だという気がしてきました。地名で肥国は火の国だと思っていましたが、「ヒノ」はサンスクリットで「放棄された、低地の、欠損した」意味であろうかと書いてあります。現段階では受け入れがたいです。参考になるところも多いように思いますが、かなり苦しいところもありそうで、その辺が確認できないのが残念です。

追記:H31.01.04
稗田阿礼の名前ですが、稗田はおいといて、阿礼の方ですが、「アレ」的な発音で考えていました。この名前は当時の日本ではない名前のように思えてきました。ムハンマド・アリとか存在しているのでイスラムの世界ではありそうな名前です。稗田阿礼がイスラム系のインド人であったとしておかしくはありません。

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