2018年12月20日木曜日

国語に入った梵語

 国語に入った梵語辞典、平等通照編著、印度学研究所発行の最初の方を見ています。
「直接の移入ー南海のルートー」のところです。・・・義浄という唐の僧が海路からインドを往復したということから、逆にインドの達磨大師は広東に到達している。暖流が流れていて、漂流すれば、インドシナ半島を出航した船は、和歌山県紀伊半島に辿りつくのである。このようにして、扶南(Funan)の音楽家仏哲や印度の婆羅門僧正が紀伊に辿り着き、朝廷の保護を受け、東大寺の大仏開眼供養に雅楽(印度仏教音楽)を奏し、貢献している。梵語学の碩学高楠順次郎(たかくすじゅんじろう)博士によれば、那智の滝の那智はインド人がその滝を見て、『ナディー・ナディー』(nadi?、川だ、川だ)と呼び、それを聞いた住民がその滝を『那智の滝』と名づけたという。鳥居は梵語のトーラナ(torana?)門、瓦はカッパラから来た、と言われる。夫々が日本にないものなので、外国語をそのまま使ったという。当時の航海術を考え、印度支那・インドネシアを中継とする、中国とインド・アラビアとの海上交通を考えば、極めてあり得ることである。現に婆羅門僧正に関する和歌が万葉集に収録されている。
『婆羅門の造れる小田をはむ鴉、まなぶたはれて、幡《はた》ほこに居り。』
 婆羅門・はた・ほこ等、日本にないものは、そのまま外来語ー梵語を用いたのである。
 海路よりの直通の移入梵語は字数は少なかったろうが、口から口への生々したもので、強力であったと思われる。
とこの本に書いてあります。この本での「鳥居」の項に、梵語のトーラナから来たと言われる。とありました。瓦は出てなくて、「平瓦」に平+瓦として、瓦は梵語(Kapara)とありました。
 はた(幡)は梵語でPataka?、ばんと読むとのことで、高楠博士の現代仏教昭和二年、五月号(四-三七号)四八頁(獅子王無畏)幡(Pataka?)flagである。
と書いてあります。現在は「はた」と言ってますが、昔は「ぱた」の可能性大です。あれっと思い、ハ行を見ると
「鉢」梵語Patraとか「ふた」梵語puta?
とかあります。昔は「ぱち」、「ぷた」と言ってたことをうかがわせます。現在のひよこが昔は「ぴよこ」というのと同じで、p→hの発音の変化を示しています。kapara→kaharaです。万葉集の歌はどんなかわかりませんので、また暇なときに調べるつもりです。?の単語は少し表記が違い(表示できない)ので要注意です。

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