カースト制度はヒンドゥー教の身分制度で、大枠はヴァルナと呼ばれる4つのグループとその下におかれた不可触民のグループにわかれます。前者はブラーマン(司祭・学者階級)、クシャトリア(王侯・戦士階級)、ヴァイシャ(商人・平民階級)、シュードラ(上位三階級に奉仕する隷属民・農民・職人)から構成されており、それぞれのヴァルナには多数のカースト集団(ジャーティと呼ばれる)が属している。ジャーティは「生まれ(を同じくする者の集団)を意味する」とのことで職種によって区分された職能集団で、地域共同体の分業関係が維持され、世襲制のものとなり、結婚もグループ内ということになるようです。インドがイギリスの植民地となったとき、国勢調査が行われ、中位のカーストでは曖昧だったものが、これで序列が固定化したそうです。序列については不明ですが、古い時代から職人集団が村落内だけで無く広いネットワークの中で成立していたことが考えられます。
参考本には、
かって村落在住のカースト集団の間には、それぞれの生業に基づいた分業関係が維持されており、王国支配下の地域共同体の場合、分業体制は各世帯が地域の生産物を世襲的に受け散る職分権により成り立っていた。壺造り、大工、鍛冶屋、職工、染色屋、仕立屋などの職人カーストや、床屋、産婆、洗濯屋などのサービスは・カーストは、多数を占める農民をはじめ、ほとんどの村人に、年間を通じて生産したものやサービスを提供し、その報酬として穀物や野菜、壺、布などの現物を受け取ったり、サービスを受けていた。このような関係は、生産品やサービスを提供する側とされる側の間の契約によって成立するものであるが、特別なことが無い限りこの契約関係は排他的かつ恒久的に継続していくものとされる。こうした分業体制によるカースト間の経済的総合依存関係はジャジマーニー制度(ジャジマンとは顧客のこと)と呼ばれ、1936年に、北インドで調査を行ったワイザーの報告によって明らかになったのである。
以下引用を省略します。これは日本の古い時代でも職業的なものは違いますが、ある程度の農業生産が行われて、経済的な余裕が生まれ、分業体制ができたものと思われます。ヤマト王権の部民制(王権への従属・奉仕の体制、朝廷の仕事分掌の体制)のことが妄想され、中央集権的な体制でなくても良さそうに思われます。
参考:カーストから現代インドを知るための30章、金 基淑(キム・キスク)編、明石書店発行
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