中国文明ですが、メソポタミア文明から派生したのではと思っていましたが、
『高地文明―「もう一つの四大文明」の発見 』山本紀夫、中央公論新社 (2021/6/25)の終章「大河文明」の見直しに迫るーーが面白いです。
何度も言及した伊東はメソポタミア文明、エジプト文明、インド文明、そして中国文明をいずれも基本文明と位置づけている。しかし、この点に関して、私は大きな疑問をいだいている。それというのも、遺伝学者の佐藤洋一郎によれば、エジプト文明もインダス文明も、そして黄河文明も「ある時期にはコムギという、それぞれの文明圏から遠く離れた地を起源地とするいわば外来植物を食料の礎《いしずえ》にもっていた」といわれるからだ。このため、「他の文明からの影響を受けたものを文明と呼ばないというなら、黄河文明もエジプト文明も、どちらも古代文明と呼ぶにふさわしくない」と述べているのだ。これは重要なポイントである。
じつは、わたしも大河文明に疑問をいだいたのは、この点に大きな疑問をいだいたからであった。それというのも、先に紹介したように伊東は、文明を「基本文明」と「周辺文明」にわけ、基本文明は「それみずからのユニークな文明のスタイルをもち、またその文明が自立的に発展し、かつ文明の寿命も長い(一〇〇〇年以上)ものをいう」と述べている。もし、そうであれば、エジプト文明はメソポタミア文明の影響を直接にうけたと思われる文明で、主穀類もコムギとオオムギであったとされる。しかし、コムギもオオムギもメソポタミア原産の作物であり、そのッ栽培化はメソポタミアでおこなわれたことが明らかである。また、インダス川流域に栄えたインダス文明もコムギに支えられた文明とされてきた。このコムギもメソポタミア原産である。さらに、黄河文明でも、初期の頃にはアワなどの雑穀が登場するものの、殷や周の頃になるとコムギにとってかわられるようになる。このコムギもメソポタミア原産のものなのである。
この点に関して、あらためて第1章の図1-2を眺めていただきたい。・・・
元図はGlyn Daniel: The First Civilizations: the Archaeology of their Originsのもののようです。 似ている図をリンクしておきます。メソポタミアとエジプトがわかれているので(図1-2)は一体になっている)ので違います。
四大文明は、コムギやオオムギなどの「メソポタミア農耕圏」で、穀物主体の考え方であって、イモ類・トウモロコシなどから始まる文明が「高地文明」になるというということで、考えが穀物中心過ぎるとのことのようです。 図で見る限り、文明は、メソポタミア→アフリカ→南北アメリカの流れに見えてきます。
ホモサピエンスがアフリカを出立して世界に広がったとの話では、メソポタミア→アジア→アラスカ方面→アメリカのルートとなっていて、違っています。文明の伝播では、天文・土木・農耕栽培などの技術が一体となって伝わらないと成立しないような気がします。高地文明も根本的にメソポタミア文明の影響があるのではないかと思います。神殿建築がこれらの文明で出てきて、建設の発想が伝達されたように思われます(思ってるだけで根拠はありません)。集団移住によって文明が伝わるとすれば、アフリカ出立とは違ってくるのかもしれません。
参考(ウィキペディアの現生人類の拡散より)
以前に「歴史は繰り返す」とか言ってましたが、バッタはすでに農地があるところに広がって行くのであって、人間の場合は新天地を開発していくので話が違っています。そのまま同じにはできないと思いました。
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