『ここまで解けた 縄文・弥生という時代』山岸良二、河出書房新社 (2022/5/30)の中に 上記のタイトルで書かれています。 文明の存在するところに「文字」があるはずなので、参考になると思っています。
以下149ページの抜き書きです。
島根県田和山遺跡は弥生時代の多重環濠集落遺跡として著名なもので、山丘上からは数百個の「石つぶて」が出土し、この集落がなんらかの防御施設だったのではないかといわれています。しかも、山上では九本柱穴遺構が発見され、なんらかの「祭祀」「儀礼」的 建物だったと推測されていました。
この遺跡から弥生時代中期後半(紀元前後)の「板状石硯」「硯状石製品」が発見され、その表面に墨書で漢字のような文字が書かれていたことが二〇二〇(令和二)年、研究者 からの指摘で判明したのです。「子」か「午」という字と、「戊」か「戌」という字になる のではないかという説が出されています。
しかし、赤外線観測では明確な字形は検出されていないため、この文字説を疑問視する意見も残っています。従来、日本での最古文字例は福岡県や三重県で出土した紀元後二~三世紀代土器に書かれていた「墨書」のような字が指摘されていました。
日本では現在まで石川県八日市地方、大阪府古曽部、芝谷、奈良県唐古・鍵、兵庫県七日市、福岡県三雲・井原遺跡など全国各地で、この「板状石硯」「硯状石製品」が二〇〇点以上発見されています。近い将来、従来説より二〇〇年古い明瞭な「文字」が発見される可能性は残っています。
日経新聞で、「弥生時代」「すずり」で検索すると出てきました。
・高知で弥生時代のすずりか 四国初、文字の使用示唆?
・吉野ケ里でも弥生期すずり 有明海沿岸でも文字使用か
以下略。 新聞をよく見てませんでした。高知県とかもあるので、各地域で文字による交流が行われていた可能性を感じます。
「板石硯」に関して、以下の講習会があったようです。
風土記の丘教室「弥生時代における「文字使用」の可能性と「板石硯」について ~田和山遺跡など島根県出土資料を中心として~」 2022年7月16日(土) 14:00~16:00
従来、日本列島における「文字使用」の開始は、5世紀頃(古墳時代中期)とされるのが通説でした。しかし、『魏志倭人伝』では中国王朝や「諸韓国」との外交や貿易(「賜遺之物」)において「文書を伝送し」と明記されているように、文書でのやり取りは漢と倭の交渉の開始から行われた可能性があります。 一方で、「文字使用」の可能性の証拠として、これまで「砥石」とされた遺物の一部に、「板石硯」や「研石」の可能性が高いものがあります。今回は、主に漢代の板石硯や研石の使用痕との比較から、弥生時代日本での硯の使用の可能性について解説します。 また、田和山遺跡出土の板石硯の裏面にある「文字」から、当時「簡讀」が列島にも存在した可能性についてもお伝えします。
[参考]かんとく【簡牘 jiǎn dú】(世界大百科事典 第2版)
中国で紙が普及する以前に用いられた書写材料。竹のふだを竹簡,木のふだを木牘といい,両者をあわせて簡牘とよぶ。
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