『飛鳥への招待』、飛鳥学冠位叙任試験問題作成委員会、中央公論新社 (2021/3/25) の「飛鳥と藤原京の道路計画」の図に飛鳥宮があります。 以下です。
飛鳥宮位置関係の図 |
図では飛鳥川があるのですが、コピーで消えてしまいました。
東西道路を東に向かうと、川原寺と橘寺の間を通過して、飛鳥宮の「エビノコ郭」西門に着きます。エビノコ郭は、天武¥持統天皇の宮だった飛鳥浄御原宮の大極殿との説もある宮殿です。東西道路は、九六年の調査の後も側溝が数カ所で確認され、谷を埋めて道路を造っていることから、下ツ道まで一直線につながっていたと考えられます。道路に面して寺院や宅地が配置され、高官の邸宅跡とされる五条野向イ遺跡とも進入路で結ばれていました。
新古の山田道では迂回することになり、新しい道が必要になり、
そこで造られたのが、今回の東西道路です。下ツ道から飛鳥宮まで、幅一二メートル一直線の道路、まさに飛鳥宮へのメインストリートとして、斉明天皇の時代に造られたと考えられています。
エビノコ郭の意味がわからなかったのですが、この図から、西よりやってくる客人のための儀礼の場であることが理解できます。もちろんこの場所が手狭で、後に藤原京に発展していくのも当然に思えます。
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