しかし、鶴岡八幡宮では段葛のところから鳥居を介して社殿を見ると左に寄っているように見えます。
つまるところ、中央を歩いても神社の中心線は避けていることになり気にしなくても良いのではと思います。この写真ではわずかに撮った位置がずれているようにも思えるので確認してみてください。軸線のずれを今まで意識したことはありませんでした。
軸線のずれは昔からあったのかと思いましたが、鶴岡八幡宮はもともとお寺で、鶴岡八幡宮寺といったそうです。*より。
家康・秀忠の改修があり、その時の絵図が残っています。*に図があるが、小さくてよくわかりません。その後の元禄の地震、文政の火災などもあり、明治の神仏分離とかで、軸線のこととかわからないのではと思います。寺の要素が排除され、配置も変化したのかもしれません。
*鶴岡八幡宮寺 -鎌倉の廃寺、貫 達人著、有隣新書
上記の本に二十五坊のことが書いてあります。源頼朝が、八幡神の本地仏の阿弥陀如来を安置し、二十五菩薩になぞらえて二十五坊をおいたとのことで、専門的な任務があったようです。二十五坊の初代の僧のうち、平家の一門とされる人が十五人いる。平家の一門だったといってもすべて殺されるものではなかったようです。
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