2015年2月9日月曜日

東大寺

743年、聖武天皇、紫香楽宮において、大仏造立の詔を発する。
752年、東大寺大仏の開眼供養が催される。孝謙天皇参列、聖武太上天皇と光明皇太后も臨席。
とあります。
 持統天皇の時には国家神道と思っていましたが、聖武天皇の時代には大きく変化しています。
山川日本史では、東大寺大仏を中心に国ごとに国分寺を配して、天皇に統合される平安国土を祈ったからであろうと記述されています。国家仏教になったようです。政治的には不安定で都を平城京から、山城の恭仁、摂津の難波、近江の紫香楽と移していて、社会不安が深刻になり仏教に頼ることになったとのことです。昨年の正倉院展で聖武天皇の御杖刀(仕込み杖)が展示されていました。一見すると杖に見える刀で、身を守るためのもので、乙巳の変などが想定されていたのかもしれません。切羽詰まった状況を想像させます。
 またこの時代の皇位継承も素人目にはわかりにくいもので、道鏡が皇位につくような話など本当かなと思います。系図を示しますが、重祚で孝謙天皇・称徳天皇と皇極天皇・斉明天皇と推古天皇・持統天皇の関係、似ているように感じます。思い込みかもしれません。奈良時代というのは混
乱の時代であったということは確かであろうとは思います。

系図は宮内庁ホームページより抜粋してます。

追記:H27.2.28
「物部・蘇我氏の神仏争い」について
事実ではないと思いますが、日本書紀の書かれた時代に
神仏が重要な問題となっていて、反映されたのかもしれません。

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