聖徳太子は作られた人だということですが、理由についてはわかっていませんでした。
ただ単純に推古天皇の時代に「和を以て貴しと為す」というのに違和感を持っただけでした。
しかし奈良時代の政治的な抗争などを見ると、日本書紀の書かれた時代に、対立だけの歴史書では情けないと当時の人は感じて、国家の理念を含まない歴史書では価値がないと考えたのではと想像します。そのために推古天皇と聖徳太子を作り上げたということです。当時においても遣隋使が男王であったことは多分認識していたとは思いますが、理念が大事で些末なことは気にしなかったのでしょう。天皇の系図でも推古天皇のあたりから、皇位継承が横広がりになっていて操作されている雰囲気があります(個人的主観です)。
強い意志を持って国家としての理念を盛り込んだもので、単なる辻褄合わせでは無いですが、日本書紀を単なる歴史書として見てはいけないのだということでしよう。至極当然な考え方だと一人納得しています。
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