2023年2月21日火曜日

候文

 謡曲で日本が文化的に統一されたと聞いたことがあります。たまたま、狂言で、ソーローと言ってるのを聞いたのですが、気のせいかもしれません。ウィキペディアでは

候文(そうろうぶん)は、日本の中世から近代、昭和戦前期にかけて用いられた、日本語の文語体の一型式である。文末に丁寧の補助動詞「候」(そうろう、そろ、歴史的仮名遣いではサウラフ)を置く。

歴史
「候」(古くはサモラフ、サブラフなど)は、元来、貴人の傍に仕える意の動詞であったが(「さむらい」もこれに由来)、平安時代に「居り」の謙譲語、さらに丁寧を表す助動詞に転じた。平安末期には現代語の「ですます体」のように口語で盛んに用いられたらしい(『平家物語』の語りの部分に多くの用例がある)。

鎌倉時代には文章としても書簡などに用いられ、文語文体として確立した。室町時代には謡曲(能)の語りの文体としても用いられた。この頃には、口語としては廃れたとされる(ただし「です」は「にて御座在り参らす」に由来するとされる)。 対照的に、文語としてはさらに普及し、江戸時代には、公文書・実用文などのほとんどをこの文体が占めた。

引用はここから


江戸時代には、文章で用いられたとのことですが、会話ではどうだったろうと思います。

狂言と候文で検索すると、以下が出てきました。

能と狂言の違い
能と狂言は、650年前に猿楽からはじまった兄弟のような関係であります。どちらかと言うと狂言が喜劇であれば、能は悲劇です。双方の異なる点というのは、狂言は「・・・でござる」というセリフ劇で、室町時代に主に庶民で使われていた口語の「ござる調」がベースとなり展開されていきます。能は、観阿弥・世阿弥のような作者がまず台本を作っているので、会話ではなく、文語の「候(そうろう)調」なのです。狂言は会話文が主なので演じられる時代によって少しづつ変化してきています。
一方、能は最初に書かれた台本通り変わらず伝えられてきています。(以下より

狂言では、「ござる」なので、違うようです。

しかし、徳川家康は大の能好きで、三代・家光、四代・家綱の時代に、能が幕府の公式行事で演じられる「式楽」として定着したようです。諸藩大名にも広まったとのことこと です。(以下より

江戸時代には、候文が、諸藩に能などによって伝達され、公式的な標準言語になっていったことはありえます。明治以降、幕藩体制からのバックアップがなくなって、それとともに、候文が使用されなくなったのとつじつまがあっています。狂言とかもヒアリングが苦しいですが、昔の人も必死に理解しようとしていたかもしれません。

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