2021年7月20日火曜日

遊戯の歴史

 『遊戯Ⅱ』日本小史と最新の研究 (ものと人間の文化史)、増川 宏一、法政大学出版局、2021/05/06

古代のところのメモ書きです。「棊博(きはく)、握槊(あくさく)、樗蒲(ちょぼ)の戯を好む」とありましたが、 ネットで探すと『隋書俀国伝』からのようです。

http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/zuisyo/zuisyo_wa.htm

毎至正月一日必射戯飲酒 其餘節略與華同 好棊博握槊樗蒲之戯 氣候温暖草木冬靑 土地膏腴水多陸少 以小環挂鸕鷀項令入水捕魚 日得百餘頭
正月一日に至る毎に、必ず射戯、飲酒す。その余の節はおおむね華と同じ。棊博、握槊、樗蒲の戯を好む。気候は温暖にして、草木は冬に青し。土地は膏腴にして、水多く、陸少なし。小環を以って鸕鷀の項に挂け、水に入りて魚を捕しむ。日に百余頭を得る。
「正月一日に至るごとに、必ず射的競技をし、酒を飲む。その他の季節行事はほとんど中国と同じである。囲碁、すごろく、樗蒲(サイコロ賭博のようなもの)の遊びを好む。気候は温暖で草木は冬も青い。土地は肥えていて、水沢地が多く陸が少ない。小さな環を鵜の首筋にかけ、水に入って魚を捕らせる。一日に(魚)百余匹を得る。」

ゲームを楽しんでいた様子がうかがえます。『遊戯Ⅱ』では、岩波書店発行の『日本書紀』の注などをもとに天武天皇の時代のことが記されています。

要するに天武一四年には天皇が主催した双六(雙六の字になっている)大会が催され、賞品なのか博戯の後で延臣ら一〇人に衣服を賜ったと書かれている。ところが、四年後の持統三年一二月八日に『日本書紀』は「雙六を禁め断む」ときされ記されている。天武と持統では明らかに雙六に対する見解が異なっている。

この後に、『続日本紀』天平勝宝六年(七五四)に雙六の蔓延で厳罰で処す記事があり、問題となっていたようです。つまり『日本書紀』では天武天皇の時代を少しマイナス評価にし、持統天皇の時代をプラス評価にしているのではと思います。あまり当てにならない記述の感じがします。

この本では、

二〇一五年に奈良文化財研究所はユンノリが日本列島で遊ばれていたと発表し、各方面に大きな衝撃を与えた。

とあります。関連するのが以下。
すごろく工器がみつかった! 

天武天皇の時代の遊びは将棋のようなものを期待しましたが違うようです。

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