2020年8月11日火曜日

感染症と歴史のつながり、ファクターX

 NHKの日本の芸能という番組を見て、能が能舞台で演じられていた。能の知識がないので勘違いしてるかもしれないことがあるかもしれない。この能の舞台は建物になっていて、室内であるのに屋根付きであった。以前に伏見稲荷大社の神楽殿を思いだしたが、3面が開放空間で正面が本殿に向かっていて、明治15年に寄進された能舞台で、もともとは能は開放空間で演じられていて、この場所で奉納されたように思われる。能舞台が全体一式まとめて能楽堂に納められている。現存する最古の能舞台として、西本願寺には北能舞台が国宝になっている。これらの能舞台を見ると変な形になっている。引用は下記より。

引用は下記より。


能へのいざない

http://www.janis.or.jp/users/shujim/index.htm

本舞台があり、それにつながる形で、橋掛かりという廊下みたいものがあり、出入り口ということでなく舞台の一部になっているが、これを見ると、寝殿造の釣殿のように見えてくる。あまり使われなかった所を転用した形である。寝殿造の感染者の隔離部屋が、お寺の門主とかの隔離部屋とかの隠れた用途があったかもしれない。江戸時代では城の中に能舞台があったところもあり、同様の役割があったかもしれない。能が武士階級の必須のものになったことで能舞台が設置されているが、目的の一つに感染症対策も少しあったことが妄想される。城主とかが感染症になり使われた記録があればよいがないであろうが、少なくとも能などの演劇では換気対策が取られていたことは確かである。

話が飛んでしまうが、建築では茶室を思い出した。国宝の待庵である。千利休作とされる究極の小さい茶室である。窓が3個しかなく開口部の面積も小さく換気が悪そうである。高さ方向はありそうで、躙口《にじりぐち》とか開けておけばよいのかもしれないが、換気の面では失敗作のように思える。

待庵のモデル写真で、引用はhttps://kurumiyama.blogspot.com/2013/09/blog-post_29.htmlより

窓のある面を見ています。同じく国宝の茶室の如庵で,後の時代のものがある。

この茶室は時空を超えるカプセルだ  如庵~『日本遺産巡礼』より 

https://style.nikkei.com/article-image?ad=DSXZZO8309815012022015000000&ng=DGXMZO83098060S5A210C1000000


図は窓を見たいので、上からの視点。待庵より少し広くなり、窓が増えている。しかも天井には突上窓もあり、開放空間になり換気が良くなっていると思う。筋違いという壁が斜めになっているところがあり、動線が良いとの話だが、空気の流れも良くなっているように思える。多分、炉を使い、湯を室内で沸かすので感染症対策ではなくて、一酸化炭素中毒対策かもしれないが、結果として感染症対策になっている。

日本ではコロナウイルスで死者が少ないといわれ、その理由が不明でファクターXということだが、日本人の生活様式がその理由になってる可能性はある。

ついでにファクターXとして日本語も考えられる。スーパーで買い物するときに、支払ではレジ係の人とはビニール状の幕かアクリル板の仕切りを介している。ソーシャルデスタンスを取ろうとしていることに相当する。昔もこのような事をしていた。御簾である。天皇と下々のものが対面するときに仕切りとしてすだれのようなものが用いられる。顔が見えないようにするためとされるが、当時は透明の仕切りがなかったためにすだれを使ったのかもしれない。VIPが飛沫感染しないように防止の意味があったかもしれない。尊敬・謙譲語も何かしら人との間の距離をとる仕切りみたいなものがあるのではと思われてきた。

日本語という言葉は、普通は「にほんご」と思っていて、「にっぽんご」ではない。日本語の歴史ではp→f→hの変化をあるとされるが、これは省エネルギー化の変化で、飛沫感染の防止の方向で日本語が進化しているとも考えられる。英語とかでは子音の連続音があるのに対し(例strongとか)、日本語では母音が入り(sutoronguのような感じ)、子音の連続音はない。発音が弱体化してる気がして、飛沫感染を防ぐのに日本語が有利であると思われる(この辺ちょっと怪しい)。しかしp音とh音の違いは確かそうである。

天然痘により日本統一を目指した律令体制が崩壊したと考えると、その後、戦国時代を経て再度日本が統一されるというまで時間を要したのも、感染症対策の時間が必要で、その中に日本語の変化があったかもしれないということになってくる。現時点では本当だろうかということであるが。


0 件のコメント:

コメントを投稿