前回の記事で七世紀が戦国時代のようなものではないかという話でした。聖徳太子は存在しなかったという前提があることを思い出しました。それで聖徳太子の話です。『すぐわかる日本の書』東京美術発行、可成屋編の最初に法華義疏がとりあげられています。
『法華義疏』は、現存する日本最古の肉筆である。聖徳太子(五七四-六二二)が著した「三教義疏」の一つで、法華経注釈書の草稿本であると伝えられている。太子の真跡か否か疑問視する声もあるが、第一巻冒頭に「此是大委国上宮王私集非海彼本。(此れは是れ、大委国(やまとのくに)の上宮王(かみつみやのおおきみ)の私の集にして、海の彼(かなた)の本にあらず」という奈良時代に書かれた添え書きがあり、奈良時代以前のものに間違いがない。とかいてあります。長らく法隆寺に所在していたが、明治の初めに皇室へ献納され今日に至っている。
とあります。
ウィキペディアに写真を見ることが出来ます。
法華義疏が聖徳太子と関係あるかもしれないということで、聖徳太子が存在したことを示す確実な証拠にはならないということのようです。「委国」ではなく「大委国」になっていることの方が気になります。
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