2020年8月24日月曜日

セミの歴史

 又吉直樹のヘウレーカ!「生き残れるのはどんなやつ?」でセミの話がありました。番組ではついて行けてなかったので本を借りてきて見てます。

ちくまプリマー新書177、なぜ男は女より多く生まれるのか、吉村仁著

この本によると、アメリカにいる変なセミの話で17年又は13年周期で大発生するセミがいるとのことです。17や13が素数で、氷河期に獲得したこの性質によって具合良く生存してきたということです。18年や15年は最小公倍数が90年ということで交雑によって滅んでいってこの素数周期だけが残っていったということです。理由の説明は分かっていないですが、ようは素数の周期性を持つことで生きながらえることができたということです。このセミは素数を理解していてこのような戦略をとったということではないです。

人間の歴史もセミと変わらないような気がしてきました。

秀吉の朝鮮出兵ですが

国内の乱立 → 統一 → 余力ができて朝鮮出兵 → 大失敗

という流れです。七世紀の白村江の戦いですが

( )→ ( ) → 朝鮮出兵 → 大失敗

で( )の中には秀吉の時と同様のものが入りそうです。

もっと遡れば、広開土王の碑があります。

これも朝鮮への侵出の話で、歴史は繰り返すということの例で、この時にも国内の統一がなった時期と考えられるのかもしれません。セミのようにきちんとした周期ではありませんが、性懲りもなく何度も朝鮮侵出を繰り返しているようにも見えます。


2020年8月20日木曜日

聖徳太子「法華義疏《ほっけぎしょ》」

 前回の記事で七世紀が戦国時代のようなものではないかという話でした。聖徳太子は存在しなかったという前提があることを思い出しました。それで聖徳太子の話です。『すぐわかる日本の書』東京美術発行、可成屋編の最初に法華義疏がとりあげられています。

『法華義疏』は、現存する日本最古の肉筆である。聖徳太子(五七四-六二二)が著した「三教義疏」の一つで、法華経注釈書の草稿本であると伝えられている。太子の真跡か否か疑問視する声もあるが、第一巻冒頭に「此是大委国上宮王私集非海彼本。(此れは是れ、大委国(やまとのくに)の上宮王(かみつみやのおおきみ)の私の集にして、海の彼(かなた)の本にあらず」という奈良時代に書かれた添え書きがあり、奈良時代以前のものに間違いがない。とかいてあります。長らく法隆寺に所在していたが、明治の初めに皇室へ献納され今日に至っている。

とあります。

ウィキペディアに写真を見ることが出来ます。

法華義疏が聖徳太子と関係あるかもしれないということで、聖徳太子が存在したことを示す確実な証拠にはならないということのようです。「委国」ではなく「大委国」になっていることの方が気になります。


2020年8月19日水曜日

崇神天皇から仁徳天皇にかけての話

 崇神天皇ーー北陸・東海・西道・丹波の四道に「四道将軍」を派遣

景行天皇ーー日本武尊による東国・西国への遠征

成務天皇ーー国内の整備

仲哀天王ーー新羅・高麗・百済の三韓平定

応神天皇ーー三韓の朝貢とともに渡来人の来朝

が語られるという。(『テーマで学ぶ日本古代史 政治・外交編』、最初の四頁くらいにありますが端折ってます)


支配領域の拡大を書紀は述べているわけで、誰にこんなことを言いたいかといえば、朝鮮地域の支配まで述べていることから、これは当時の唐に日本をアピールするためのものでしかないと思われます。

歴史を追って日本の発展を述べていますが、それぞれの天皇に段階ごとに割り振っていて、水増ししているような感じを受けます。日本の統一では、戦国時代から織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三代にわたって統一された事を思えば、国内統一も短期間に出来たのではないかと思います。

秀吉の朝鮮出兵を考えると、その前提として国内の統一、それを可能にした軍事力を持っていたことがあるわけで、戦国時代には朝鮮出兵の余裕はなかったのが、秀吉の統一後に朝鮮に振り向けることができた状況になったことがあり、例えば江戸時代になって平和な時代になれば、軍事力を行使しにくくなります。タイミングがあるということです。古代でも同様で、白村江の戦いなどで、百済の復興運動に日本が加担するのも日本に余裕があったことがあるわけで、ない袖は振れない状態ではなかった。軍事力を用意できた。なぜできたかといえば、この直近まで国内で統一に向けた戦いが行なわれていて、軍事力の利用が容易であったと想像されます。つまるところ各天皇に割り振った国内の統一の話は、万世一系の天皇の話にするためのものであって、実際には、白村江の戦いの前の七世紀前半・中頃の話を述べている可能性大と思われます。遣隋使があった時点は日本の統一過程(漠然としてですが、古墳時代のゆるやかな連合体から物流システムが整備された統一体のようなものに変化してる?)にあり、日本書紀は遣隋使の経緯を正確には記述していないことから、政権主体が変わっているのではということになってきます。


2020年8月11日火曜日

感染症と歴史のつながり、ファクターX

 NHKの日本の芸能という番組を見て、能が能舞台で演じられていた。能の知識がないので勘違いしてるかもしれないことがあるかもしれない。この能の舞台は建物になっていて、室内であるのに屋根付きであった。以前に伏見稲荷大社の神楽殿を思いだしたが、3面が開放空間で正面が本殿に向かっていて、明治15年に寄進された能舞台で、もともとは能は開放空間で演じられていて、この場所で奉納されたように思われる。能舞台が全体一式まとめて能楽堂に納められている。現存する最古の能舞台として、西本願寺には北能舞台が国宝になっている。これらの能舞台を見ると変な形になっている。引用は下記より。

引用は下記より。


能へのいざない

http://www.janis.or.jp/users/shujim/index.htm

本舞台があり、それにつながる形で、橋掛かりという廊下みたいものがあり、出入り口ということでなく舞台の一部になっているが、これを見ると、寝殿造の釣殿のように見えてくる。あまり使われなかった所を転用した形である。寝殿造の感染者の隔離部屋が、お寺の門主とかの隔離部屋とかの隠れた用途があったかもしれない。江戸時代では城の中に能舞台があったところもあり、同様の役割があったかもしれない。能が武士階級の必須のものになったことで能舞台が設置されているが、目的の一つに感染症対策も少しあったことが妄想される。城主とかが感染症になり使われた記録があればよいがないであろうが、少なくとも能などの演劇では換気対策が取られていたことは確かである。

話が飛んでしまうが、建築では茶室を思い出した。国宝の待庵である。千利休作とされる究極の小さい茶室である。窓が3個しかなく開口部の面積も小さく換気が悪そうである。高さ方向はありそうで、躙口《にじりぐち》とか開けておけばよいのかもしれないが、換気の面では失敗作のように思える。

待庵のモデル写真で、引用はhttps://kurumiyama.blogspot.com/2013/09/blog-post_29.htmlより

窓のある面を見ています。同じく国宝の茶室の如庵で,後の時代のものがある。

この茶室は時空を超えるカプセルだ  如庵~『日本遺産巡礼』より 

https://style.nikkei.com/article-image?ad=DSXZZO8309815012022015000000&ng=DGXMZO83098060S5A210C1000000


図は窓を見たいので、上からの視点。待庵より少し広くなり、窓が増えている。しかも天井には突上窓もあり、開放空間になり換気が良くなっていると思う。筋違いという壁が斜めになっているところがあり、動線が良いとの話だが、空気の流れも良くなっているように思える。多分、炉を使い、湯を室内で沸かすので感染症対策ではなくて、一酸化炭素中毒対策かもしれないが、結果として感染症対策になっている。

日本ではコロナウイルスで死者が少ないといわれ、その理由が不明でファクターXということだが、日本人の生活様式がその理由になってる可能性はある。

ついでにファクターXとして日本語も考えられる。スーパーで買い物するときに、支払ではレジ係の人とはビニール状の幕かアクリル板の仕切りを介している。ソーシャルデスタンスを取ろうとしていることに相当する。昔もこのような事をしていた。御簾である。天皇と下々のものが対面するときに仕切りとしてすだれのようなものが用いられる。顔が見えないようにするためとされるが、当時は透明の仕切りがなかったためにすだれを使ったのかもしれない。VIPが飛沫感染しないように防止の意味があったかもしれない。尊敬・謙譲語も何かしら人との間の距離をとる仕切りみたいなものがあるのではと思われてきた。

日本語という言葉は、普通は「にほんご」と思っていて、「にっぽんご」ではない。日本語の歴史ではp→f→hの変化をあるとされるが、これは省エネルギー化の変化で、飛沫感染の防止の方向で日本語が進化しているとも考えられる。英語とかでは子音の連続音があるのに対し(例strongとか)、日本語では母音が入り(sutoronguのような感じ)、子音の連続音はない。発音が弱体化してる気がして、飛沫感染を防ぐのに日本語が有利であると思われる(この辺ちょっと怪しい)。しかしp音とh音の違いは確かそうである。

天然痘により日本統一を目指した律令体制が崩壊したと考えると、その後、戦国時代を経て再度日本が統一されるというまで時間を要したのも、感染症対策の時間が必要で、その中に日本語の変化があったかもしれないということになってくる。現時点では本当だろうかということであるが。


2020年8月2日日曜日

コロナウイルスと日本語の伝播

コロナウイルスからの思い付きです。 図は人口10万人当たりの感染者数です。  

東京都は人口が多いので感染者数が多いのは当然ですが、人口10万人当たりの数でもトップです。検査の数が多いという可能性もありますが、どの都道府県も同じようだと考えての話です。東京ではなぜ多いのかという理由を考えると、人の接触が多くて感染者が多いのではと想像します。東京都と大阪では人の接触頻度が2倍ほど違うかもしれないということです。新型コロナウイルスの感染は、接触確認アプリとかの条件で、1m以内・15分が示されていますが、これは感染者が呼吸していてコロナウイルスを排出し、そばにいた人がこの排出されたコロナウイルスを受けるということが考えられていると思います。つまり、感染症の人とすれ違っても、また数メートル離れていても大丈夫ということです。これは人と人で会話が行われているときと似ています。会話が行われるというのとコロナウイルスが感染するのにはアナロジーが成立してるかもしれません。日本語での新語法とか新単語が生まれ、多くの人との会話の中で拡散してゆくのをコロナウイルスの拡散のイメージで考えることができます。日本語の変化が広まるのも、コロナウイルスでのクラスター発生から想像できます。私は今まで、日本語の変化は波が広がっていくようなイメージを持っていましたが、多分違うと思います。クラスターが発生し、それが連鎖反応を起こして最終的に全体に広がると考えるのが自然です。波であれば同心円状に広がるイメージですが突発的に広がればまだら模様になります。感染者数のグラフでも必ずしも東京の近くが多いということでもありません。

図はhttps://uub.jp/pdr/q/covidji.html#3より