2014年10月13日月曜日

【複数の「古代」】という本

 上記、神野志隆光(コウノシタカミツ)著を図書館で借りてきました。20007年10月20日第1刷発行となっています。
非常に参考になりました。
 私の勘違いかもしれませんが、以下メモです。
メモ
1.日本書記は持統朝から見た歴史である。
2.推古朝の歴史はフィクションである。もちろん全てがでたらめというわけではない。
 ---途中省略---
3.日本書記では聖徳太子の文字は見えない。皇太子はある。
4.万葉集はもう一つの歴史である。
 もっと早く知ってれば良かったと思います。安田仮説は、かなり遅れていました。

 なぜ万葉集があるのかということについて
この本では、古事記での「言向け」がキーワードであると述べられています。「言」(服属を誓うことば)をこちらに向かせるの意味だそうです。倭建命の話で・・・
荒(あら)ぶる神とまつろはぬ人等(ひとども)とを言向(ことむ)け和(やわ)し平(たいら)げよ。とあるそうです。
 日本の統一に向かって、軍事的に制圧するとともに言語による支配が必要であるとのことだと思います。日本語らしきものがまだ確立していない中では、当時は言葉が重要視されていた。万葉集の編者が大伴家持で、大伴氏は大いなる伴、すなわち天皇の側近ナンバーワンの家柄であり、軍事と言葉の世界のとりまとめをしていたのではと思います。日本書紀は天皇・藤原氏の歴史書であるのに対し、万葉集は大伴氏の歴史書であるような気がしてきました。

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