2015年5月17日日曜日

仁徳天皇

 NHKのBSプレミアムで
英雄たちの選択「聖武天皇 未完の遷都計画〜最新発掘が明かした大国家構想〜」
を見ました。内容は
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平城京を拠点に仏教に基づく政治を志した聖武天皇。その事跡に、大きな謎とされてきた出来事があった。天平12年(740)、突如平城京を出て、三つの都市を5年にわたって彷徨、これらを新たな都と定めたのだ。唐の「複都制」を目指したという壮大な構想の全貌とは・・・
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です。
 今、聖武天皇が造った都 難波宮・恭仁宮・紫香楽宮、小笠原好彦著、歴史文化ライブラリー、吉川弘文館 を読んでいたのでラッキーでした。NHKの番組では情緒的なところがありましたが、この本ではかなりきちんと書かれています。テレビを見てしまったので読む気が失せてしまってますが。
 この本の中で前期難波宮が天武朝か孝徳朝かの論争があり、孝徳朝の可能性が強くなったとかかれています。難波京の復元にあたって、1970年沢村仁氏は日本書紀の仁徳記と孝徳記の記事を対比し、仁徳朝の京に関する記事は孝徳朝のことをさかのぼって記した可能性が高いとして想定されていると書かれています。
 この部分を忘れてはいけないのでメモっときます。淡海三船の歴史観に従えば、仁と考は関連しそうで、仁徳天皇=孝徳天皇を暗示しているように思えました。

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