2014年7月10日木曜日

鶴林寺と安田

この前の日曜日、鶴林寺を訪れました。本当とは思えませんが、聖徳太子創建の古刹です。本堂・太子堂などが国宝です。本堂手前に菩提樹と沙羅双樹が配置されています。沙羅双樹の方だったと思いますが、その木が石柱で囲まれています。そこに、その石を寄進された人の名前が彫られています。その参詣路側に「安田  何某」と多数ありました。安田というのは地域の名前で、その地区の人がまとまって寄進したということでしょう。地図を見ると鶴林寺の近くに尾上安田というところがあります。おそらくこの地域の人が関係しているのだろうと想像します。とにかく安田という地域はおそらく古い時代の名前で、法華口というところも近くで見かけました。法華天台宗からきた地名と思われますが、奈良時代からある地域の雰囲気を残しています。鶴林寺の入り口手間に用水路のようなものがありましたが、条里制の痕跡であろうかとも思わなくもありません。安田という地名から条里制の存在をうかがわせます。7世紀後半からいつの時代であろうか、鶴林寺付近の古い地図があれば、はっきりとするかもしれませんが。残念ながら奈良時代以前を示す証拠はわかりません。しかし、それ以降の古い時代である可能性は十分あります。鶴林寺と安田で検索すると鶴林寺の正月の行事に修正会という行事があることがわかりました。鬼払いの前に安田吉道?という謡曲が奉納され、追儺(ついな)という鬼払いの儀式が行われるそうです。由緒では平安時代後期の村上天皇の御代、ともひら親王の後胤につながるそうです。時代的に詳しくしりたいと思います。鶴林寺の宝物殿で、鶴林寺と近くの一乗寺の寺に関する10哲?みたいな比較があり8人同じで、残りの1人が聖徳太子と弘法大師の違いでした。略してタイシさんというときにごっちゃになってるのかなとも思います。これはおいといて、条里制により田が整備され、その後に寺域が出来てきた可能性が高く(寺がありその周りに条里制の田が出来た可能性は小さいように思います)、いろいろ思うだけで、確証は無いのですが、加古川の西側の地域で条里制について何かしらありそうです。

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