2020年10月12日月曜日

能と万葉集

 歴史は繰り返すという話です。万葉集は大伴家家持という軍事貴族が編者と考えられていますが、戦と和歌の関係が、ヤマト政権の軍事拡大により、征服した地域の日本語教育が必要であり、地域の同化政策の担当もあったためなのではと考えていました。しかし違うかもしれないと思うようになってきました。それは古典芸能の能楽からの発想です。能が形式的に整えられたのは、徳川将軍が「式楽」的な正式なものとしたことが大きいと思います。武士として必須のものとされたのは、戦に必要な資質を磨くためのものであったことが考えられます。戦場で軍隊を率いて行くには、命令をきちんと部下に示す必要があります。文書で命令したりしていては埒があかないので、声により指示する必要があります。鎧甲に身を固め、顔にも防御用の面をつけます。発声が悪ければ、戦に負けることもあり得ます。面をつけてもはっきりとした遠くまで届く声でなければなりません。つまり能面をつけて唸るような遠くまで届く声を出せなければ戦のリーダー失格ということだと思います。能は武士の必須教養ということです。秀吉も信長も同様であったはずです。信長は桶狭間の戦いの前の幸若舞で、能とは違うかもしれませんが、発声については似たようなものに思います(知識がないので違うかもしれません)。これは大伴家持の時代に戻ることができます。戦には指揮命令のために、戦のリーダーにきちんとした発声がいつの時代でも求められ、それがこの時代では和歌のようなものにつながっていた気がします。どうしても和歌と言えば、現在の感覚では読むものにしてしまいますが、当時はあくまで発声するものであって、五七五七七なども意志の伝達手段としてわかりやすくするための決まりのようなものと考えられます。今は文字重視ですが、万葉集や能などの時代は音声重視であって、つながっているかもしれません。


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