2019年5月11日土曜日

後七日御修法

4月28日、9:00-9:45,日曜美術館で「京都の大宇宙 東寺」で放送されていました。京都・五重塔で有名な東寺。1200年続く神秘の祈り!日本で生きる全ての人と関わる“秘儀”を8Kで初めて撮影。さらに空海×生命科学で見えてくる壮大な仏の宇宙とは?との宣伝文句です。
 放送を見て、後七日御修法は、天皇の身体安穏と国家の安泰・繁栄を祈って行われる重要な儀式に納得します。仏教の儀式というより、神仏習合の時代の儀式に思えます。荘厳な儀式が今も行われていることに驚きます。NHKでは1200年続いたと言っていて、連続したかのように感じてしまいましたが、途中に中断があり、また最初は宮中において行われていたものが、東寺に移されたということのようです。東寺への移行が明治維新後ということは、神仏分離で宮中では問題となり、廃絶させるのはどうかということで存続したと思います。明治の廃仏毀釈運動があった中でよく残されたなと思いました。
 少なくとも空海の時代以降、神仏習合の時代であり、この時代が明治維新まで続くことを理解していませんでした。おそらく今まで、明治維新後の皇国史観にとらわれた偏見で、江戸時代以前を見ていたと思います。なかなか皇国史観から抜けられないでしょうが、意識したいものです。

ネットで調べると
「後七日御修法(ごしちにちみほ)」とありましたが、
・平凡社/世界大百科事典 第2版の解説
  ごしちにちみしゅほう【後七日御修法】
・日本大百科全書(ニッポニカ)
  後七日御修法、ごしちにちのみしほ
で読みが少し違います。
 また、最初の年も少し違うようです。
・世界大百科では、
834年(承和1)空海が勅命により大内裏中務省において始行し,同年空海が上奏,唐の例にならって宮中に真言院が造立された。翌年から恒例として宮中御斎会と並んで行われるようになり,東寺一の長者が導師を勤めた。
・日本大百科では
835年(承和2)空海の奏請(そうせい)で中国唐の風習に模して設けられた。金胎(こんたい)(金剛界(こんごうかい)、胎蔵界(たいぞうかい))両部の法を隔年交互に勤修(ごんしゅう)した。室町末期に一度中止されたが、江戸初期に復興した。明治維新後は東寺(教王護国寺)に移行され、現在も真言宗十八本山が集まって東寺灌頂院(かんじょういん)で営まれる。
とあります。

 

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