2019年4月30日火曜日

服部の名前

 服部半蔵の名前から思い出しました。伊賀流忍者の頭領です。忍者ハットリ君とかで、なぜ忍者に服部の名前か疑問に思っていました。ウィキペディアで服部を見ると、元は機織部 - はたおりべで、部という文字は残っているが発音のべが無くなり、「はたおりべ→はっとり」ということです。どうして機織りと忍者が結びつくのかということでしたが、聖武天皇のころ伊賀の近くの甲賀に紫香楽宮を考えたので、その時に機織部が関係していたかもしれないということで、全然無関係ではないように思われてきました。甲賀の地域が山岳地帯で修験道とか盛んなところで、行者が忍者になったとの妄想です。あまりに大雑把で、どうだかなという話です。
しかし、服部の地名の場所を見ると、岡山県や広島県が多く、これは吉備の国の地域に重なり、七世紀の影響が出ているように感じました。もちろん、この地域外のところも何か関係がありそうです。
地方公共団体
・服部村 (岡山県)(はっとりそん) - 岡山県吉備郡。現在の岡山県総社市服部地区
・服部村 (広島県)(はっとりそん) - 広島県芦品郡。現在の広島県福山市駅家町服部地区。

2019年4月27日土曜日

四天王寺に7世紀の亀形石

日経新聞に出ていました。

四天王寺に7世紀の亀形石 奈良・酒船石遺跡と同構造

竜山石とのことです。この石は天智天皇との関係があると思っていましたが、
孝徳天皇との関係が述べられています。天智天皇と孝徳天皇は対立したはずなので、時代的には厳密に考えていかないといけないようには思います。
メモ書きです。
参考:竜山石

2019年4月5日金曜日

舒明天皇のいきさつ

日本書紀、巻第二十三 息長足日広額天皇《おきながたらしひひろぬかのすめらみこと》 舒明天皇
(日本書紀➂、新編日本古典文学全集4,小学館)を見ました(今まで見てませんでした)。
 後継が決まらぬままに推古天皇が崩御し、、そのあとに舒明天皇に決定したいきさつについて書紀は記しています。この部分は以上に詳細な記述で、おそらく書紀は重要と考えているのだと思います。田村皇子(舒明天皇)と山背大兄王と対立があり、群臣の協議により決定したようです。ここで推古天皇を持統天皇と考えると、孫の代の天皇の皇位継承について話が展開しています。つまり、持統天皇から文武天皇に皇位継承されることを正統化している内容のように思えてきます。天皇が一代飛ばしになったのは、推古天皇と持統天皇の時だけのように思いました。この舒明天皇の即位の部分は、後の持統天皇から文武天皇への引き継がれることの伏線になっているように改めて感じました。当時の人たちにとって、一代飛ばしの皇位継承は不自然に思われ、その弁解のために異常と思えるほどに詳しく記したこの部分があるのではという気がします。持統天皇と文武天皇の関係をそのまま推古天皇と舒明天皇の関係に持ってきてはいないようですが、潤色が強い部分と思われます。
 上記の本に舒明天皇の系図があったので、まねして作ってみました。
継体天皇からの系図.png

2019年4月2日火曜日

大嘗祭(ダイジョウサイ、オオニエノマツリ)の悠紀国・主基国

事典 古代の祭祀と年中行事、岡田荘司編、吉川弘文館発行からの説明をほぼ引用しています。
 天皇代替わりの即位儀に続いて斎行された天皇一代一度の祭儀。斎田の稲穂の確保のために、即位時期により七月以前はその年の十一月、八月以降は翌年の十一月になるという。祭儀は大嘗宮の正殿(悠紀殿《ゆきでん》・主基殿《すきでん》)において、皇祖天照大神に新穀の神前を捧げ、神と天皇が共食し、国家の安寧を祈念する国家最高の「饗《あえ》の事」と言える。
とあります。この本では大嘗祭の成立について、天武二年説と持統五年説があり、
天武二年には「大嘗」の文字が見え、国郡卜定が播磨と丹波にあったと推定されるようです。天武五年に、悠紀・主基の国郡卜定(これは新嘗のため)が初見されるようです。この卜定は、祭儀に備える新穀を用意する国郡を決めることのようで、毎年の新嘗祭は畿内ですが、大嘗祭は畿内ではなく、この悠紀国・主基国は東西に広がるようです。
これから、その時代の勢力範囲を想像できるかもしれません(もちろん違うかもしれません)。
 持統天皇では悠紀国・主基国は播磨と因幡、文武天皇は尾張と美濃ということです。これで見ると持統天皇の時には因幡も勢力範囲に入っていたことがうかがえます。
 年表を見ると、持統四年(690)には、持統天皇の即位があり、庚寅年籍、高市皇子の藤原京の地の視察など行なわれていて持統体制が固まりつつある時に気がつきました。朱鳥元年(686)一月に難波宮火災、九月に天武天皇崩御とあります。持統天皇の即位後の様子が不明ですが、キビ・ヤマトの勢力の争いの決着が難波宮火災でついたと考えることが出来ます。まだまだ半信半疑ですが。