インターネットで古地図が公開されていました。切り取っています。
左側が北、右が南方向です。
図の中央に赤の長方形の小坂村の左に、蓮如杉があり、そのまた左に石山本願寺と思いますが、石山御堂という山のようなところがあり、当時籠城門徒四萬人余り の記述があります。さらに渡辺橋川幅二百六十間の川の北側に織田方鉄砲備えがあり、天満山に織田信長本陣とあります。
中央下側には柴田勝家陣があり、包囲の布陣のようです。中央の赤の枠内の小坂村と書かれていてこれが、地名の大阪の元になったとの事のようです。
図の端に、大阪旧薩摩藩邸出入、大工棟梁鮫島某所蔵
とあって、図そのものは石山本願寺攻めを示しているようですが、新しいものかもしれません。図ではカットしましたが、百姓一揆とかの場所があり、一揆はグループの意味のようです。忍びの者とかあり、忍者がいたのとか、酒人とかは酒造りの人だろうかとか、舩場は今の船場で、海の方につながっていたのかとか見てるとおもしろいです。
地名:大阪
http://yasudakasetu.blogspot.jp/2013/10/blog-post_9052.html
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