2017年6月1日木曜日

井上、田中、田伏

 寝屋川市に石の宝殿古墳があります。寝屋川市ホームぺージによれば、発掘調査の時の須恵器の小片から7世紀中ごろのものとされています。また古墳背後の埋まった石と列石から角度が135度あり、古墳の形が八角形の可能性もあるそうです。八角形といえば天武天皇のお墓とされる野口王墓も八角形です。この時代の可能性がたかまります。とにかく7世紀のこの地域の有力豪族の墓とのことです。ここは打上神社の奥にあります。神社の鳥居の額には甲良神社とあるところです。
 ここからが本題ですが、この神社の玉垣というのかわかりませんが、石の垣根にある名前で,同じ名字で古い時代の痕跡が残っている地域です。この地域の人の名前が彫られているようです。
井上、田中、田伏が目立ちます。
『井上』は井が条里制の田んぼの形状を線で表したもので、結局田んぼの上の方の意味です。また『田中』は文字通り田んぼの中ほどの意味だと思います。『田伏』は私の想像ですが、伏せた姿勢から下の意味だと思います。つまりこの地域は田んぼの上・中・下を現した名字から成立してることになります。先ほどの古墳はこの地域で条里制の田んぼを開発していった有力者のお墓であり、この地域が7世紀中ほどまでには開発されていったこと、その時の名字の発生とつながりがあることを印象付けるものだと思います。
あと、『田伐』という名字も目立ちました。伐採しながら田んぼを開発していった様子がうかがえます。











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