木村茂光 編
吉川弘文館
ISBN978-4-642-08046-0
稲作中心の伝統的農業史観から、もっと多様で豊かな農業について書いてある2010年発行の本です。
農耕の始まりから古代・中世・近世と時代を追って専門の担当者に分かれていて、歴史を学ぶ上で改めて農業が重要なベースになっていることを実感します。
言葉で迷ったのでメモ
鍬(クワ)・・土を引っ掻く農具
鋤(スキ)・・土を引き起こすスコップのような農具で人力のもの
犂(スキ)・・上と同じだが、牛馬によるもの
図書館から借りて前半しか読めていないが31ページからの耕地の拡大の話は参考になりました。
古墳時代の巨大な前方後円墳と耕地の大開発とを短絡的に結びつける理解であって、『5世紀=大開発時代』説を裏付けることはできないらしいです(広瀬和雄:耕地の開発、古代史の論点Ⅰ環境と食料生産、小学館)
広瀬によれば
水田開発の時期の画期は二つあった。と主張しているとのこと。
第一段階は縄文時代晩期後半=弥生時代先Ⅰ期で、灌漑施設を伴う完成された水田稲作の技術体系が受容された時期である。第二は七世紀初頭で、畿内およびその周辺に.最新の技術を駆使した灌漑弘法ーー長大な灌漑水路とため池の建設ーーが定着した時期である。
第二の画期が一気生じたものではないらしい。広瀬によれば、最古のため池の一つとされる狭山池の築造がほぼ7世紀初頭とされる。
33ページには条里制が7世紀後半に登場し、徐々に普及したと書いています。
37ページから
東国における犂の発掘事例はほとんどないので、その伝搬過程を検証することはできないが、七世紀頃西日本に本格的に導入された牛馬耕が、七世紀初期の畿内地方における国家的な大規模開発と連動していたことを考えるならば東国がヤマト政権さらに律令国家に編成されていく過程で進んだ技術を継受し、八世紀前後には水田区画面積の拡大を実現した、と推定することも可能であろう。・・・
確かに37ページの群馬県における水田区画面積の時代的変遷の図では奈良・平安時代に急激に増大しています。
どこから引用されてるかわかりませんが、
条里制を起源とする安田の名字の7世紀後半とか、西日本から東日本へ発展していくところなど、安田仮説とマッチしていて力づけられます。
0 件のコメント:
コメントを投稿