2015年10月18日日曜日

常陸国

 安田仮説では、大和政権は西日本までの統一であると言ってますが、常陸国風土記が問題と
なっていました。常陸国は今の茨城県です。飛び地であるとしていましたが、知識が増えて
きましたので、現時点のメモ書きとしてアップします。
 常陸風土記とは、ウィキペディアによれば、奈良時代初期の官選の地誌とされていて、その
写本が5つ残っていてその一つです。この風土記の編者は、当時常陸守であった藤原宇合が
有力とされています。出だしの常陸国総記の中に
・・難波長柄豊崎大宮臨軒天皇(注で孝徳天皇)の時代に、高向臣・中臣幡織田連らを遣わ
して、坂(前の方の相模の足柄岳の坂か?)より東の国を総領めしめき(注で東国の八国を
統治)。・・・
とあり、彼は後期難波宮造営の責任者で、孝徳天皇を意識していてそうかもしれないと私は
思いました(弱い理由ですが)。納得いく説明は
「常陸国風土記」の世界-古代史を読み解く101話-、井上辰雄著、雄山閣の第100話
にあります。
 常陸国は藤原氏とつながりが強いようで、藤原氏の氏神を祀る奈良の春日大社は、・・768年
(神護景雲2年)に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた
天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としている
(ウィキペディア春日大社より)となっています。常陸国を藤原氏が注目していたのだと思います。
 さて鹿島神宮の武甕槌命が春日大社に白鹿に乗ってこられたとのことですが、どのような交
通手段であろうかと思います。もちろんイメージの話です。私は海上ルートではと想像します。鹿島神宮の位置は東が海で、名前の通りヒタチ(日立)を見ることができます。これはアマテラスを皇祖神とする伊勢神宮と同じパターンで伊勢神宮-熱田神宮-鹿島神宮が海上ルートでつながるような気がします。東海道というものがあります。今は電車が走っている地域を思ってしまいますが元々の意味は東の海の道のはずです。飛び地であっても船を使えば移動は問題無いように考えられます。
 あと、常陸風土記を詳しく見てないですが、侵略的な雰囲気を感じます。
古老の話のスタイルになっていますが、倭武天皇の話などそれほど古い話ではないのではな
いかとも思います。地名の話なども中央からの目線を感じます。
 藤原氏などの律令制を採用した中央集権的な体制の大和の勢力が、前方後円墳の文化を持つ
、地方分権的な共同体組織であった地域を制圧していく過程が風土記にあらわれているような気がします。防人も捕虜的な扱いであったことにつながるはずです。
 七世紀から八世紀にかけて劇的な変化が起こっていて、この前後の時間的な関係がシビアで
あることは認識しました。今は妄想段階で、どうなるかわかりませんが、現段階のメモとして残します。

参考:常陸国風土記 
   編著者:沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉

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