蓮の3本の茎を型どりしたもので、石造物の基礎に施される近江式文様のひとつとされています。このルーツを、奈良国立博物館の白鳳展で感じました。きちんとまとめられなかったのですがメモとして残します。
白鳳時代の仏像では個人のものでパブリックなものではない雰囲気の仏像があり小さめのものが展示されていました。いうなれば初期の仏像と考えられるものです。
衝撃的なものが
No.32 銅造阿弥陀如来及び両脇侍像 飛鳥時代後期(献納宝物144号)
です。阿弥陀仏が蓮の花から生まれたイメージを感じるものです。背面に山田殿像とあり、山田寺の関係もありそうな仏像です。
No.84 伝橘夫人稔侍仏(阿弥陀三尊像)
伝ということで白鳳時代ということです。
橘三千代ともいい、藤原不比等の後妻となり、光明子の母です。蓮の茎に注目です。
塼仏-塼仏(せんぶつ)は、かつて中国の北魏から唐代に発展し、日本には7世紀に伝来し、発達したレリーフ形式の仏像。(ウィキペディアより)
NO.24 川原寺裏山遺跡出土 三尊塼仏
No.130 伝橘寺出土 三尊塼仏
No.131 南法華寺出土 三尊塼仏
これらは蓮の茎まで表現されていて、三茎蓮を強く感じました。
No.117 長谷寺銅板法華説相図
中段の左右五尊仏のところ。
No.27 山田寺跡出土品 金銅板五尊像
仏像の原則は蓮の上ということなのでしょうが、仏像が巨大化してくると強度的に茎でサポートすることは出来なくなり(仏像が2倍なら茎は2√2倍でバランス悪くなる)、個人的な仏像では可能であった三茎蓮が白鳳の時代以降消え去ってしまったのかもと思いました。塼仏などもおそらくこの時代のみの特徴であろうと思われますが、鎌倉時代からの近江式文様とはどういうつながりがあるのだろうと思います。関係ないと言えばそれで終わりになりますが。
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