内宮のご祭神は天照大御神であり、外宮は豊受大御神である。天照大御神=持統天皇と考えれば、持統天皇の神格化が行われたことになる。持統天皇の時に内宮が作られたか、それまでの神社の形式が大きく変えられたと考えられる。持統天皇4年(690)、第1回の式年遷宮が内宮で行われたとのことである。国家神道の始まりかもしれない。
以下はメモ。
神明造りの建物で、高床、切妻で茅葺の屋根に千木と鰹木をそなえ、棟持柱をはじめとする柱はすべて根元を地中に埋めた掘立式とされる。伊勢神宮では千木と呼ばれる角のようになったところが、屋根の破風板から突き出している。これは古代の建築で屋根の先端を作るのが難しく、先を少し伸ばして固定した名残であろうとされている。この千木の先端が垂直なのが外宮、水平が内宮で、男と女の違いを表しているとの話がある。注目して見ていて、内宮に参拝したときに板垣南御門で、破風板の組んであるところが、左前(右が外側)になっていた。外宮の参拝時には注目してなくて、想像で逆になっているかと思ったが、図面を見ると同じく左前のようで、思い過ごしだった。男女で左右が違うのは洋服らしい。和服では右前とのこと。何か意味があるのかはわからない。
外宮の御饌殿(ミケデン) 、伊勢神宮HPの説明では、 外宮のご祭神が、御饌都神(みけつかみ=食物を司る神)の豊受大御神であることから、外宮のみにある御饌殿(みけでん)では、毎日朝夕の2度、天照大御神をはじめ、豊受大御神、各相殿神(あいどののかみ)、各別宮の神々に大御饌をたてまつります。とある。外宮の御正殿の北東に位置する。しかし内宮は東南の方向にあり、外宮内だけの位置関係かなと思う。古い時代の都が北の方に移動していくのも北の方が優位という考えがあるのかもと思った。
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