gaccoサイトで「日本中世の自由と平等」というオンラインの講義があります。そこで
本郷先生が、奥州藤原氏が国家であるようなことをいっておられました。
佐藤という名字は奥州藤原氏の影響を受けた名字であると思っていましたが、
国家であれば当然戸籍のようなものがあり、奥州藤原氏も独自の戸籍を作っていたはずで、
範囲が限定された分布になっていても当然だと思います。
円の大きいところが奥州藤原氏のテリトリーではと思われます。
安田仮説は本のタイトルのつもりでした。内容は安田という名字についての仮説です。 名前の発生が七世紀ごろと考えられ、この時代をきちんとしないといけないということで、古代史に首をつっこむことになりました。内容は昔と今では言ってることが違うことも多いです。現時点の考え方は以下のようなものです。 1.聖徳太子や推古天皇はいなかった。蘇我・物部の争いもなかった。 2.大化改新もなかったが、その後の話の展開で必要とされたのだろう。 3.血縁関係はどうだかわからないが、孝徳天皇・天智天皇・天武天皇・持統天皇は存在しただろう。天智天皇と持統天皇には親子関係があることは否定しない。 4.遣隋使を送った倭国は「大和」にはなく「吉備あたり」だろう。 5.天武天皇は渡来系の人で、出雲国譲りは天武天皇(大海人皇子)の時代のことだろう。 6.日本書紀は中国の「唐」向けの文書で、八世紀初めの日本の立場を良くしようとするために潤色が多くあるのだろう。 ・・・・・・
2014年4月23日水曜日
2014年4月22日火曜日
万葉集:貧窮問答歌
テレビの「100分de名著」の万葉集・第3回を見ていたら、山上憶良の貧窮問答歌の話が出てきました。
日々の生活で苦しんでいる人を描写しているものです。文学史的にはあまり例がないようです。
なぜ憶良が貧しい人の目線に立てたかということです。
憶良が百済滅亡の時に日本に逃れてきた渡来人と考えるとつじつまがあいます。
彼は有能で官吏として抜擢されていたわけですが、少数であり、同じ難民でもそうではない人は苦しい状態に追いやられたと思います。日本に逃れてきた同胞の意識があり、何かしらの記録の形で仲間の悲惨な事実を残さなければいけないという強い思いで貧窮問答歌が作られたのではとふっと思いました。そこで図書館に出かけ、万葉集の本を見てきました。ぱらぱらと見ただけですが、渡来人というのは勘違いかもしれないという気がしてきました。番組では当時の社会状況などについて詳しくは触れられていませんでした。番組を見ただけで私が感じたことですが、ウィキペディアで山上憶良を見ると万葉学者の中西進氏が渡来人説を述べておられるようです。時間があればこのあたり詳しく知りたいと思っています。ほかに万葉集の本で古代の日本語の発音のことがありましたが、ぱっと見て文字だけではわかるものではないと感じました。
日々の生活で苦しんでいる人を描写しているものです。文学史的にはあまり例がないようです。
なぜ憶良が貧しい人の目線に立てたかということです。
憶良が百済滅亡の時に日本に逃れてきた渡来人と考えるとつじつまがあいます。
彼は有能で官吏として抜擢されていたわけですが、少数であり、同じ難民でもそうではない人は苦しい状態に追いやられたと思います。日本に逃れてきた同胞の意識があり、何かしらの記録の形で仲間の悲惨な事実を残さなければいけないという強い思いで貧窮問答歌が作られたのではとふっと思いました。そこで図書館に出かけ、万葉集の本を見てきました。ぱらぱらと見ただけですが、渡来人というのは勘違いかもしれないという気がしてきました。番組では当時の社会状況などについて詳しくは触れられていませんでした。番組を見ただけで私が感じたことですが、ウィキペディアで山上憶良を見ると万葉学者の中西進氏が渡来人説を述べておられるようです。時間があればこのあたり詳しく知りたいと思っています。ほかに万葉集の本で古代の日本語の発音のことがありましたが、ぱっと見て文字だけではわかるものではないと感じました。
2014年4月17日木曜日
安田の分布
秋田県に安田の分布が多いですが、以前からなぜだかわかりませんでした。
次の本を見ていて、可能性があると思いました。
日本の中世1:中世のかたち 石井進 著 からの抜き書きです。
日本書紀に斉明天皇の四年(658)から六年にかけて、いわゆる阿部比羅夫の「蝦夷(えみし)」、「粛慎(みしはせ)」征討のの記事をのせる。畿内勢力が日本海ぞいに北上、齶田(あきた)(今の秋田)・渟代(ぬしろ)(いまの能代)・津軽地方の蝦夷を服属させ、さらにその北方の「粛慎」を攻撃したという、早い時期の伝承である。・・・
これは白村江の戦い(663)の前なので、時間的には早く、このときに安田が東北に発生したとはいえそうにありません。しかし、日本海側の海上交通が発達していて、その後に秋田県の方に安田が移住したことで、多いことの理由になるかもしれません。
次の本を見ていて、可能性があると思いました。
日本の中世1:中世のかたち 石井進 著 からの抜き書きです。
日本書紀に斉明天皇の四年(658)から六年にかけて、いわゆる阿部比羅夫の「蝦夷(えみし)」、「粛慎(みしはせ)」征討のの記事をのせる。畿内勢力が日本海ぞいに北上、齶田(あきた)(今の秋田)・渟代(ぬしろ)(いまの能代)・津軽地方の蝦夷を服属させ、さらにその北方の「粛慎」を攻撃したという、早い時期の伝承である。・・・
これは白村江の戦い(663)の前なので、時間的には早く、このときに安田が東北に発生したとはいえそうにありません。しかし、日本海側の海上交通が発達していて、その後に秋田県の方に安田が移住したことで、多いことの理由になるかもしれません。
2014年4月1日火曜日
安田仮説 改訂版 出ました。
12月からブログの更新が止まっていました。体調が悪くなったためです。その後回復し、改訂版を出そうということで3月はがんばっていました。昨日、グーグルブックスにアップロードし、今朝見たら公開されていました。手早く作業していただいてありがたく思っています。しかし最初の安田仮説も残しています。購入された方はおられないようなので内心良かったと思ってます。間違わないようにお願いします。改訂版では、私のワープロの技術もだいぶ進化しましたので、お粗末さはかなり軽減されたと思います。40ページで必要な部分の図だけにしています。はじめの版を残したのは資料に意味があるのではと思い残しているだけです。改訂版の方を間違わずに読んでいただくようにお願いします。改訂版のEPUB形式は容量の制約でこれ以上の図を含めるのが難しいようなので、現状のスタイルになっています。資料集は売れ行きがよければ作成しようと考えています。4月からまた貧乏暇なし状態が考えられるので、8月ぐらいに作業できるでしょう。改訂版の値段は100円とさせていただきました。ぼったくりの批判は受けますが、「金返せと」かのコメントとかいただいても返金はしません。お金をどぶに捨てても良いと思われる方は購入の方よろしくお願いします。
注意ですが、安田仮説 改訂版では残念ながらマイナーなので検索されないと思います。
Google Play の中で 安田仮説 改訂版 を検索してください。それと表紙に改訂版の文字があるのを確認してください(下の図参照)。
安田仮説 改訂版
注意ですが、安田仮説 改訂版では残念ながらマイナーなので検索されないと思います。
Google Play の中で 安田仮説 改訂版 を検索してください。それと表紙に改訂版の文字があるのを確認してください(下の図参照)。
安田仮説 改訂版
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