2013年8月24日土曜日

名古曽の滝となこその関

名古曽の滝というのがあります。京都市右京区嵯峨大沢町。全く目立たず、通り過ごしてしまいます。
(日本庭園鑑賞事典によれば)
嵯峨院跡大沢池庭園。
弘仁2年(811)、嵯峨天皇が、ここに池泉庭を造り、貞観18年(876)、山荘離宮をあらため、大覚寺となった。この大沢の池にそそぐ北側の流れ100mほど上っていくと、名古曽の滝跡がある。
(都名所図会によれば)
五所明神の社は大沢の西にあり。名古曽滝はその北にあり。(昔はこの地に滝殿あり。兼好が家集に見えたり)
「拾遺」滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れて猶聞こえけれ 大納言
 小倉百人一首(55番)藤原 公任(ふじわら の きんとう)(966-1041)
何だろうと思っていましたが、なこその関と関連があるかもしれないと思いました。

 いわき市勿来関文学歴史館で「なこそ歌の世界」の展示をしていました。なこそとは来るなという意味の古代語ともいわれていて、なこその関の歌が展示されていました(H25.8.14)。
パンフレットの歌人を以下に記します。
紀貫之(866/872 ?-945)
源師賢(1035-1081)
源俊頼(1055-1129)
小野小町(生没年不詳825?-900)
大僧正頼意(?)
藤原基俊(1060-1142)
源兼昌(生没年不詳、平安中期から後期)
藤原為氏(1222-1286)
右大将道綱母(倫寧女)(936?-995)
河内(生没年不詳、1105?)
和泉式部(978-?)
従二位為子(生没年不詳、鎌倉時代後期)
源義家(1039?-1106)
慈円(1155-1225)
源頼朝(1147-1199)
宗良親王(1311-1385)
西行(1118-1190)
中務(敦慶親王女)
源信明(910-970)
昔の人の生没年というのをきちんと表すのは難しいものだと実感しました。ネットで探してきたものでうまく調べられてないので、参考データです。
紀貫之や小野小町などの人などを見ても、おおざっぱにいって、名古曽の滝となこその関は時代的に矛盾していません。
なこその関は奥州三関のひとつで、その近くには滝があるかわかりませんが、平安時代から意識されていたようで、何かしらの結びつきがあると思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿