『光明皇后 - 平城京にかけた夢と祈り (中公新書)』、瀧浪貞子、2017/10/25、の中に 興福寺北円堂について書かれています。36頁。
北円堂は元明太上天皇と元正天皇が、不比等のために右大臣長屋王に命じて建立させたもので、不比等が亡くなった年(養老四年〔七二〇〕)の十月十七日、「造興福寺仏殿司」が置かれている。じつは、これが正史『続日本紀』に登場する興福寺の初見であり、仏殿司は北円堂造立のための役所として設置されたものであった。不比等の追善供養を目的とする「仏殿」の造営が国家的事業として行われているところに、生前の不比等の役割、立場が示されている。・・・
似てるなと思うものに、栄山寺の八角堂があります。 ウィキペディアの説明では
天平宝字4年から8年(760年-764年)の建立と推定され、藤原武智麻呂の菩提を弔うために子の仲麻呂が建立したと伝えられる本瓦葺の八角形の建物。平城京および斑鳩以外の地区にある奈良時代建築として稀有のものであり、建立年次がほぼ特定できる点でも貴重な建築である。
藤原仲麻呂が、不比等・武智麻呂と続く藤原氏の正統性を示すものとして八角堂を建立したように思います。
法隆寺の夢殿も八角形です。ひょっとして、聖徳太子以来の正統性を藤原氏は示したかったのかもしれません。
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