『“地形と気象"で解く! 日本の都市 誕生の謎 歴史地形学への招待』竹村公太郎、ビジネス社 (2021/6/1)を借りてきました。奈良盆地での文明誕生のことが述べられています。奈良盆地で水田開発が行われたとして、古代の図が示されています。以下の図の引用のようです。
奈良湖推定図
(時空トラベラー、奈良盆地の原風景 〜古代奈良湖の残影〜より)
以下、図のところの説明です。
(奈良湖推定図。この図によれば、縄文遺跡は水辺、湿地帯をさけて山麓の微高地に分布しているが、弥生時代の農耕集落(唐古鍵遺跡など)は湿地帯に分布している。面白いのは古墳時代から飛鳥時代の古墳や宮殿・宮都跡は稲作生産の拠点である水辺・湿地ではなく三輪山の山辺に分布している。やがては湿地の無い盆地南の飛鳥の地に遷っている。この図はネットの図形検索で出てきた図で、あちこちのブログで引用されている。しかし、いくら調べても出典が明らかでない。以前「近畿農政局のHP」に掲載されていたものではないかと思う。作者不詳だがよく出来ているので引用させてもらった)
先の本では、異常なほど直線型をした河川とあります。川は蛇行するので直線は人工的な物であり、干拓された証拠であるとのようなことが書かれています。確かに図では直線が目立ちますが、この図はどのように作成されたか不明です。現在の地図に痕跡とか残っているのか、ぱっと見ではわかりません。断定して良いものかと思います。しかし、ある程度の土木技術があれば排水の制御が可能になり、盆地で水田開発が行われるでしょう。もちろん、他の地域の盆地でも開発されていて、奈良だけが優れていたわけではなく、発展可能性ある地域の1つであったと思います。
「時空トラベラー、奈良盆地の原風景」の図をもう一つ引用します。
奈良湖から亀の瀬を通って河内平野に流出する大和川の構造を示した図
大和川を経由して河内平野から外海へ出て行けそうな図です。とくに法隆寺が水辺近いところにあったことを始めて知りました。水運を考えれば、古い時代にこの地が栄えたことが考えられ、変なところではなかったと思います。
「時空トラベラー」では、万葉集巻の一に舒明天皇御製の歌で「海原は鴎立ち・・」とあります。カモメがいたということです。これは奈良湖をイメージするものです。七世紀くらいには、奈良湖の痕跡があったことを考えておかないといけないのではとも思います。