日本書紀神代に、天照大神が素戔嗚尊の乱暴に対して、お怒りになり、天の岩屋に入られて、磐戸《いわと》を閉じてこもってしまわれた。それで国中常闇《とこやみ》になって、夜昼の区別もわからなくなってしまった。・・・
一書には天の高市(小高い人の集まる場所)に集まって相談した。・・・
<全現代語訳、日本書紀、宇治谷孟、講談社学術文庫より>とあります。
天照大神は持統天皇であることから妄想されることは、実際に持統天皇も天の岩屋に入られて、国中が困ったということ(困るのは一部の人かもしれない)があったのではないかということです。
日本書紀巻三十の持統天皇を見ても、もちろん岩屋に入られたことは書いてありません。しかし、異常に吉野行幸が多いように感じます。天の岩屋から吉野行幸を引きこもりのイメージに連想しました。多分実務的なことは高市皇子たちが行っているので吉野行幸も問題ないということだったと思います。何回も天の岩屋に入られていないので違いますが、書記神話の発想としてはありえます。
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