次のは明治時代の写真です。相輪が5個か6個しかないので、現在のもの(九輪ある)は修復されたか、新しいもののようです。屋根が重そうでつっかい棒のようなものが見えます。現在は補強金具が屋根の下に取り付けられていてかっこよくはなっています。江戸時代の様式らしきものも元に戻されているようです。写真は勝手に持ってきました。ネットで見ることができ、ありがたいです。明治5年より
現在の伽藍の中心軸は南北になっています。法隆寺や法輪寺が軸線が反時計側にずれているのと対応していません。しかしながら昭和の解体修理前の調査で、法隆寺若草伽藍の方位と一致していたそうです。法輪寺も今の法隆寺とは違うなと思っていましたが、若草伽藍のと一致していそうです。古来よりの、法起寺・法輪寺・法隆寺の関係など興味はありますが、後回しになりそうです。
順番としては
1.法隆寺の若草伽藍、四天王寺式の一直線の並び
2.法起寺の古いもの、金堂・塔が横並びに変化
2.法輪寺、法起寺と並びが反転
4.現法隆寺、方位が変わり、法輪寺タイプ
5.法起寺、現法隆寺をモデルに方位を北にする。横の並びはそのまま
と考えて良いのかどうか?
短期間に大きな変化があった時代のような感じはします。まとまり無いですがメモ書きです。
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