2016年10月20日木曜日

稲部遺跡で大型建造物発見

 17日の新聞記事がありました。
「滋賀県彦根市の稲部(いなべ)遺跡で、弥生時代末(3世紀初め)~古墳時代初め(同中ごろ)の
鍛冶(かじ)工房群や大型建物の遺構が確認された。市教委が17日発表した。邪馬台国の時代からヤマト政権の成立期にかけて、この地域の拠点的な集落だったと推定している。」とのことです。
日経記事など

 遺跡から、福井、鳥取の土器もあり、古代の海上交易をうかがわせるものです。
もちろん岐阜、静岡、奈良の地域の物もあり、各地域とのセンター的な意味をもつもののようです。
個人的には日本海側との関係がわかっていけば面白いと思います。また琵琶湖の湖上交通とかどうなっていたのとかも興味があります。
メモ書きです。

2016年10月12日水曜日

法起寺三重塔露盤

 法起寺は奈良県奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本にあり、この塔の露盤銘からは聖徳太子の遺命により山背大兄王が岡本宮を寺に改めたと伝えられています。


 



 露盤の所、屋根の上の方にあり、2面しか見てないですが、現在は文字などわかりません。昔からのものと勘違いしていました。現在のものは違うようです。

 次のは明治時代の写真です。相輪が5個か6個しかないので、現在のもの(九輪ある)は修復されたか、新しいもののようです。屋根が重そうでつっかい棒のようなものが見えます。現在は補強金具が屋根の下に取り付けられていてかっこよくはなっています。江戸時代の様式らしきものも元に戻されているようです。写真は勝手に持ってきました。ネットで見ることができ、ありがたいです。明治5年より



結局の所、大山氏の論文では、明治時代には露盤銘は見つかっていないようで、詳細に調べられていて、偽であるとしていますが、そうだろうと思います。

 現在の伽藍の中心軸は南北になっています。法隆寺や法輪寺が軸線が反時計側にずれているのと対応していません。しかしながら昭和の解体修理前の調査で、法隆寺若草伽藍の方位と一致していたそうです。法輪寺も今の法隆寺とは違うなと思っていましたが、若草伽藍のと一致していそうです。古来よりの、法起寺・法輪寺・法隆寺の関係など興味はありますが、後回しになりそうです。

順番としては
1.法隆寺の若草伽藍、四天王寺式の一直線の並び
2.法起寺の古いもの、金堂・塔が横並びに変化
2.法輪寺、法起寺と並びが反転
4.現法隆寺、方位が変わり、法輪寺タイプ
5.法起寺、現法隆寺をモデルに方位を北にする。横の並びはそのまま
と考えて良いのかどうか? 

短期間に大きな変化があった時代のような感じはします。まとまり無いですがメモ書きです。