2014年8月30日土曜日

夏休み

 時間があるので、いろいろ出来ると思ってましたが、成果はありませんでした。すぐ忘れてしまうので今の考えをメモ書きとして書いておきたいと思います。
 以前に、アマテラスのモデルは持統天皇ではないかということで投稿してました。つまり日本書紀は持統天皇を称賛するためのものであるということです。とすると聖徳太子・推古天皇も不比等・持統天皇を投影しているという説も本当かもしれないと思えます。中国の史料では遣隋使を送ったとき日本は男子王であったとのことです(出所は未確認です)。つじつまがあってない可能性はあります。聖徳太子と・推古天皇をなくしてしまえば、あいたところがどうなるか。根拠は薄いですが、景行天皇・ヤマトタケルが入るかもしれないと思います。天皇名がタラシ系列であるというだけの理由ですが。コピペで痕跡が残ったのではという推測です。ヤマトタケルの話で地名がいろいろと付けられたということがあります。地名というものはローカルであれば、山とか川ぐらいで十分だと思いますが、中央集権化が進むと各地を識別する必要が出てきます。その時に中央の意向に沿った地名が考えられるはずです。日本の統一化が進む中で、感覚的にはヤマトタケルは7世紀前半の人と考えて、このころから地名が整備されていったのではと、今は想像しています。地名から古い時代を推測することはむつかしい気がしてきました。

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