「ブラタモリ#242」で埼玉県の行田市の特集でした。2023年7月15日の放送で忘れてしまいそうです。 行田市には前玉(さきたま)神社があり、ここが埼玉の地名の発祥ということです。 行田市のHPにマップがあります。ありがたく、このPDFを見ます。 行田まち歩きマップ (PDFファイル: 8.4MB)
QRの前玉神社の解説動画があります。
前玉神社は古墳の上にありとのことで、古墳で行われていた祭祀儀礼が神社形式に移行したことを想像させます。古い神社であろうとは思われます。
丸墓山古墳の解説動画が次にあります。QRコードがあります。
名前からわかりますが、円墳です。105mとされる大型の古墳です。
丸墓山古墳が、全国でもっとも大きい円墳であること、埼玉古墳群でもっとも盛土量が多いことも忘れてはならない。同時期の大王墓、真の継体陵と考えられる大阪府の今城塚古墳が全長190、後円部径100mであるから、円丘部のみを比較した場合、稲荷山古墳、二子山古墳と続いた大型前方後円墳が、丸墓山古墳の段階で円墳となること、丸墓山古墳が二子山古墳の前方に築造されたこと、唯一葺石《ふきいし》をほどこす古墳であることなどの点が疑問とされる。この疑問は、『日本書紀』安閑天皇元(534)年に記された武蔵国造の争乱と関係しそうである。
(埼玉県の歴史散歩、山川出版社 (2005/2/15)200頁より)
さて、稲荷山古墳出土鉄剣が有名ですが、銘文の漢字に「杖刀人首」と読めるところがあることから、中央政権に仕えたことがわかるとのことです。
今まで、考えてなかったのですが、この地域が利根川流域にあり、水運により、利根川を下り、鹿島神宮・香取神宮を経由し、熱田神宮、伊勢神宮とルートが出来ていて、中央とのつながりを持っていたのかもと思いました。
関東造盆地運動により、この地域が平坦地ができて、農耕に適した地域として開発されて、古代より発達したのかもとも思えます。
酒巻古墳群(酒巻21号墳)*解説動画
利根川のそばにあります。