江戸時代の僧侶・国学者の契沖は950年以前の文献から、それに従って仮名遣いを決めるべきであるとして『和字正濫抄』を著し、これが国学者の間に広まり、明治政府はこれを採用し「歴史的仮名遣い」となったようです。この歴史的仮名遣いは10世紀以前のあり方を19世紀、20世紀に復古的に再現しようとしたもので、10世紀以降江戸時代までの大部分の日本人は歴史的仮名遣いは知らなかったとのことです。明治になり水戸藩の国学の影響で、皇国史観が確立されたのと対応していると思いました。
NHK放送大学、日本語概説 日本語の文字と表記 第10回(2015年度再放送)を見て
安田仮説は本のタイトルのつもりでした。内容は安田という名字についての仮説です。 名前の発生が七世紀ごろと考えられ、この時代をきちんとしないといけないということで、古代史に首をつっこむことになりました。内容は昔と今では言ってることが違うことも多いです。現時点の考え方は以下のようなものです。 1.聖徳太子や推古天皇はいなかった。蘇我・物部の争いもなかった。 2.大化改新もなかったが、その後の話の展開で必要とされたのだろう。 3.血縁関係はどうだかわからないが、孝徳天皇・天智天皇・天武天皇・持統天皇は存在しただろう。天智天皇と持統天皇には親子関係があることは否定しない。 4.遣隋使を送った倭国は「大和」にはなく「吉備あたり」だろう。 5.天武天皇は渡来系の人で、出雲国譲りは天武天皇(大海人皇子)の時代のことだろう。 6.日本書紀は中国の「唐」向けの文書で、八世紀初めの日本の立場を良くしようとするために潤色が多くあるのだろう。 ・・・・・・