『船と古代日本』茂在寅男、PHP研究所 (1987/3/4)の124頁に 中国側資料の記録の紹介があります。
前210年 秦始皇帝による蓬莱島への徐福の派遣
57年 倭の奴国王の後漢入貢、光武帝これに印綬を授ける
107年 倭の国王帥升ら後漢に入貢し、生口160人を献上
239年 邪馬台国の女王卑弥呼、帯方郡に使を遣わす。魏の明帝、卑弥呼を親魏倭王とし、金印紫綬を与える
266年 倭の女王壱与、西普へ使を遣わし、入貢する
369年 倭軍朝鮮に出兵、任那に日本府を置く
391年 倭軍、百済・新羅を破り、高句麗と戦う
413年 倭王讃、東普に使を遣わして貢献
438年 倭王讃の弟珍、宋に使を遣わして貢献、安東将軍となる
対応する『日本書紀』の記述がはっきりしません。中国との関係を意図的に無視してると思います。対中関係で不利にならないように考えているとは思いますが、よくわかりません。
海上交通とか考えていた時のメモ書きです。