2018年6月23日土曜日

方言の東西対立

 日本語の歴史1、方言の東西対立、柳田征司著、武蔵野書院の「おわりに」を見ての感想です。
 この本では、日本語は中部地方を境界に東西で異なるがそれは古い時代からのものではないということのようです。習った、習うたの促音便とウ音便の違いは江戸時代以降と書いてあります。買うといった場合に「買って」と「買うて」の違いは、物々交換の時代の言葉ではなく、貨幣経済が盛んにてからの言葉のはずで、多分平安時代以降の話だと思われますのでそうかなという気がします。方言の違いが古代の歴史を調べることに直接はつながらないということになります。今まで勘違いしていたと思いました。
 n人のグループで挨拶とかすることを考えます。だれか一人は(nー1)人と挨拶します。n人ではn*(nー1)回の挨拶が発生することになります。少し面倒なので、自分にもつぶやきで挨拶するとすれば、n*n回の挨拶になります。10人のグループでは10*10=100回です。100人のグループでは100*100=10000回になります。人数では10倍ですが挨拶の回数では100倍になります。人数比をrとすればr*rになります。言葉の変化はできるだけ合理的なものを目指していくと思いますが、使っている言語を維持しようとする力が働くので、突然変異的に変化するのではと想像します。すると10人のグループと100人のグループでは、可能性として後者の方が100倍変化しやすいことになります。人口が集中した地域ほど変化の具合が大きいということです。単純には奈良・平安時代は西日本、最終的には江戸時代には東日本の変化の影響が大きかったということのように思われます。
 この考えを発展させると、少数者の言語の方が変化が小さいことが予想され、古い時代の言語を調べるには、大事になってきます。日本語の原点は奈良時代より前の時代にあり、その前の時代はアイヌ語の方が近かったかもしれません。
 アジアの言語でも、古い時代は周辺地域のSOV形式だった可能性は高かったと思われます。

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