2015年7月15日水曜日

名字:樋口


敷葉工法(しきはこうほう)が用いられているとのことで狭山池(さやまいけ)博物館に行ってきました。池ということですが、日本最古のダム式ため池だそうです。この博物館にはいろいろ展示されています。写真は館内に展示されている堤を切り出したものです。下の方に樋と呼ばれる木製の筒状の水路があります。年輪年代測定法から7世紀前半に作られたと想定されています。この樋の取り出し口が樋口ということで調べて見ました。
 
樋口の分布を示します。新潟県が多いようですが目立った特徴は感じません。

 
 
しかし他の名字との関係を見ると面白い結果がでています。
相関の高い順番に並べると、
風間、村山、小柳、青柳、小林、丸山、小池、羽田、笠原、桑原、米山、笹川、堤、坂井、橫尾、本間、中沢、片桐、早川、遠山、大矢、渡辺、内山、小宮、今井、依田、星野、保坂、浅川、五味と続きます。ぱっと見たところ水のものとかあり、堤とかは完全にダムに関係していそうです。柳なども堤の地盤を固めるような植物のイメージを持ちます。
ここで2番目の村山ですが、村の山ということで山形の堤を表しているように思えました。
後ろの方の順位の依田ですが、「田」は樋口に「依」存するの意味で、樋口を言い換えたのではと思います。また片桐というのは、江戸時代に片桐且元が改修工事を指揮したことによるのではと考えられます。古い時代だけで無く新しい時代の影響を受けている名字ですが、開発された年代がごっちゃに含まれている感じもあります。山も本当の山で無く堤の意味もあることをしりました。
狭山池は前期難波宮の時代につながるものですが、狭山池博物館では推古天皇の時代のように
説明されていました。私的には孝徳天皇の時代に関連するように思えます。
後の時代に、行基や重源が改修しており、東大寺の成立や再建となぜか関係しているようにも思いました。何かしらのgiveアンドtakeがあったかもしれません。写真は堤断面を切り出したもので、どんどん拡張されてきていますが、最初はこの二分の一くらいだったようです。それでも最初に川のバイパスを作り、そこで堤を作ってからダムを作るということなので7世紀前半ですごい工事をやっていたのだなと感心します。

追記:2015.07.16
ウィキペディアには、新潟市について
1950年代まで、信濃川左岸の新潟島中心部には堀が張り巡らされ、それに沿って柳が植えられていた。そのため、「水の都」「柳都(りゅうと)」などの異名を持つ。とあります。
潟が多く、排水処理が必要な地域だったのかもしれません。

追記2:2015.07.24
依田ですが、樋口に依存するではなくて、樋口が水源に関係しているので、田は水源に依存するぐらいの意味であろうと思います。言い過ぎでした。