2014年6月1日日曜日

聖徳太子

聖徳太子の時代は、本当はヤマトタケルの時代で、ヤマトタケルの古い時代に移したので
あいたところへ聖徳太子を持ってきたのではと思います。
ここで聖徳太子のモデルは誰かということですが、単純に考えればキリストということになります。
厩戸皇子ということからキリストの生誕との連想から誰でも考えることだと思います。
奈良時代においては中国だけでなくペルシャなどからの宝物が伝わって来ています(正倉院のものなど)。これらとともにキリスト教が伝えられたかどうかと言うことですが、今から100年ぐらい前に論じている人がいたようです。
ネットで、佐伯好郎博士と「日ユ同祖」論にあります。一部抜粋しますがキリスト教の一派であるネストリウス派は、635年(貞観9年)に入唐し、当時の皇帝であった太宗の厚遇を受け、翌636年に波斯寺(745年に大秦寺と改称)を建立したとされている。すなわち、中国にネストリウス派のキリスト教が伝来したのは7世紀のことである。・・・大秦寺の名前が京都の太秦に対応しており、渡来人の秦氏が関係しているとのことですが、私はそうかもしれないと思います。聖徳太子が出てくる日本書記の編纂時期には十分間に合います。秦氏が4世紀に渡来したのでつじつまがあわないとのことが上記で述べられていますが、7世紀に渡来したとすれば整合性はあるので、切り捨られてしまう仮説ではないように思います。
自分の記憶力がおぼつかない感じになってきましたので、これはメモ書きです。


追記:H260616
 秦氏が7世紀に渡来したというのはちょっとと思うようになりました。秦氏が1回でなく数回に分かれて渡来したか、後から来た人たちが秦氏というグループに加わったか可能性はあるので断定はできないと思います。